(3)足軽・組屋敷

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 いざ戦いとなった場合、その最前線を勤める足軽は城下の出入り口に配置された。東は両馬川と外堀の間、西は明石川沿いと、さらに明石川を越えて南北の街道沿いに、北は城の東北部、玉津や伊川谷など北部からの道が集まる「上ノ丸」に置かれた。組屋敷、特に船手奉行配下で、藩の御用船を取り扱う「水主(かこ)組」の屋敷は東西に細長く拡がった港の両端部に置かれた。

明石川西部の足軽町(『講座明石城史』付図(大久保時代)より)