(5)町屋-江戸時代史料からみた「町」

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 城下町建設当初、東の京口門から西の姫路口門の間、西国街道に沿って10町が配置され、後に東・西に新町、南に新浜が加えられた。江戸時代の史料により作成した表をみるとその変化がわかる。
 基本となる町は「惣町」と呼ばれ、その中に「小名」という小さな町が含まれている。「町割年号記」には当初から材木町の名があり、全部で11町としているが、そのすぐ後に「材木町」の名前は丹波守の代にできたものとあることから、当初の町の名前には含まれないと考え、10町とした。この材木町から町の変遷をたどってみる。当初からある明石町の一部が材木町となり、一時明石町と材木(さい木)町が両立していたが、後に明石町全体が材木町へと変わり、明石町の名前は消える。その後、新たに生まれた船町から戎町が独立する時に、材木町の一部であった薬師町が分割され、戎町と合体し、戎町の中に薬師ノ丁が含まれるようになった。
 第4代藩主大久保季任の代(1639~1649)の絵図には「細工町」は「刀町」、「鍛冶屋町」は「朝顔紺屋町」とあり、この一時期に鍛冶職人の町に何らかの変化があったと思われる。
 この他には、小笠原忠政が信濃国松本から明石へ転封となった時に移って来た商人たちを住まわせた町である「信濃町」の名前が、小笠原忠政が小倉に転封した7年後には「中町」へと変化している。
惣町の変遷
「明石御代々御城主様御入国並町割年号記」 「明石記」
惣町(地子免許状) 丹波守 1634~39 年頭御礼(寛永18年)1641 大久保 1639~49 町中小名之定(延宝6年)1678 新惣町 享保2年 1717 町中調(享保6年)1721
小笠原 1617~32 居住者 元町 小名 延宝8年 1680 居住者等 小名
1 東新町 東新町 東新町 瓦屋長右衛門、長塀愛宕札社、京口御門
2 鍛冶屋町 かちや町 源右衛門、助右衛門 鍛冶屋町 京町 炭屋町 会所町 鍛冶屋町 町会所四郎兵衛、朝顔光明寺、弥勒院、福寿院、浄土光明寺 京町 会所町 炭屋町
3 東本町 東本町 宗臣、ひめちや惣兵衛、あつき屋三郎太夫、なは屋次郎太夫、あかヽべ屋九郎左衛門、いつミ屋徳右衛門、かわし屋伊兵衛 東本町(大年寄:鴻池屋七郎太夫) 淡路町 米屋町 南大黒町 北大黒町 八百町 東本町 鴻池屋十郎太夫、加賀屋八左衛門、姫路屋弥三兵衛、小浜屋清右衛門、淡路屋三郎兵衛、丸屋善太夫、常本屋宇右衛門、常本屋藤右衛門、正徳寺 淡路町 米屋町 南大黒町 北大黒町
4 細工町 細工町 勘右衛門 細工町 白銀町 細工町 白銀町
5 東魚町 東魚町 茂兵衛、善左衛門、やをや孫助、肴屋弥七郎、肴や庄三郎、肴や源三郎、八百屋九郎左衛門 東魚町 滑町 東魚町 大坂屋弥次兵衛、淡路屋利左衛門 滑町
6 西本町 西本町 清右衛門、いわや三郎兵衛、三木屋庄吉、大坂屋甚右衛門、九右衛門、あふら屋喜十郎、 西本町 南呉服町 北呉服町 椹木町 鍵町 西本町 岩屋三郎兵衛、市原屋吉兵衛、塩屋忠兵衛、備前屋五郎兵衛、山崎屋庄左衛門、鍋屋庄右衛門、江井島屋七兵衛、姫路屋弥三兵衛、江井島屋惣兵衛、追手御門 南呉服町 北呉服町 椎木町 鍵町 八間町
7 西魚町 西魚町 たヽミや与兵衛、ひものや助左衛門、ひものや長左衛門 西魚町 檜物屋町 西魚町 大屋佐太郎、町番所 檜物屋町
8 信濃町 しなの(信濃)町 吉兵衛、伝右衛門、八右衛門、ひせん屋徳左衛門 中町(改名) 中町(大年寄:大屋佐太郎) 渡海町 中町 松屋与次右衛門、町番所 渡海町 藁屋丁
9 東樽屋町 東樽屋町 善右衛門 東樽屋町 万町 東樽屋町 藤井益庵、樽屋御門前 万屋町
10 西樽屋町 西樽屋町 太兵衛 西樽屋町 紺屋町 西樽屋町 松屋茂右衛門 紺屋町
11 明石町〔思案橋の西〕 明石町 猪右衛門、仁兵衛、庄吉、あわや理(利)兵衛、姫路屋惣兵衛、小豆屋三郎太夫、井筒屋六郎右衛門
12 ※材木町 材木町(改名) さい木町 吉兵衛、久兵衛 材木町 薬師町 竹屋町 馬屋町 材木町 〔坊主橋〕、福蔵坊、宝林寺、町番所 竹屋町 馬屋町
13 船町 恵美須町 苫屋町 塩屋町 風呂屋町 船町 阿波屋吉左衛門、佐野屋助右衛門、塩屋吉兵衛 苫屋町 塩屋町 風呂屋丁
14 戎町(船町から分割) 戎町 長林寺、砂山 薬師ノ丁
15 新浜 新浜 新浜 岩屋明神鳥居之前
16 西新町 西新町 西新町 大坂屋六兵衛


惣町位置図(境界は昭和2年地図による)

 また、明石町は新たに建設された城下町であり、町が繁栄するためには商人や職人たちを町に集め、定着させる必要があった。そのため、惣町の頭であった東本町・西本町・信濃町の年寄が、町屋敷地にかかる税金(地子)の免除を藩へ願い出、それを受けて、初代藩主小笠原忠政は元和6年(1620)10月12日、町屋の地子を免除する文書を明石町に与えた。以後、代々の藩主もこれに倣い地子を免除している。

小笠原忠政の地子免許状

惣町の戸数、人口比較とその変化
『明石記』(享保6年:1721年)
竈数
(軒)
人数
(人)
1軒当り人数
(人)
東新町 145 634 4.4
鍛冶屋町 110 474 4.3
東本町 128 544 4.3
細工町 77 324 4.2
東魚町 89 446 5
西本町 76 432 5.7
西魚町 86 372 4.3
中町 36 168 4.7
東樽屋町 110 476 4.3
西樽屋町 93 458 4.9
材木町 170 756 4.4
船町 237 1,088 4.6
戎町 192 951 5
新浜 90 628 7
西新町 264 1,171 4.4
1,903 8,922 4.7

惣町の戸数、人口比較とその変化
『明石市勢一覧』(大正9年:1920年)
戸数
(戸)
人数
(人)
1軒当り人数
(人)
東新町 223 1,127 5.1
鍛冶屋町 169 765 4.5
東本町 151 816 5.4
細工町 76 358 4.7
東魚町 67 369 5.5
西本町 81 449 5.5
西魚町 79 360 4.6
中町 65 324 5
樽屋町 261 1,308 5
材木町 170 795 4.7
船町 133 747 5.6
戎町 290 1,564 5.4
新浜 453 2,467 5.4
西新町 443 2,091 4.7
2,661 13,540 5.1

惣町の戸数、人口比較とその変化
200年間の変化
戸数
(倍)
人数
(倍)
東新町 1.53 1.77
鍛冶屋町 1.53 1.61
東本町 1.17 1.5
細工町 0.98 1.1
東魚町 0.75 0.82
西本町 1.06 1.03
西魚町 0.91 0.96
中町 1.8 1.92
樽屋町 1.28 1.4
材木町 1 1.05
船町 0.56 0.68
戎町 1.51 2
新浜 5.03 3.92
西新町 1.67 1.78
1.39 1.51