目次
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総論1
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城下町の近代化
(1)外堀埋立て
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町の境界(昭和2年)
明治初年の町・村(『兵庫県市町村合併史』兵庫県〔1962〕付図を加工)
幅約15mで武家屋敷地を囲んでいた外堀は明治末年までに埋立てられた。外堀のために通行が分断されていたが解消され、通行が自由になり、人々の生活空間が拡大するとともに、埋立てにより町中に新開の土地が出来、住宅や道路などに生まれ変わった。また、外堀内にあった広大な武家屋敷地が学校や官公庁、工場などに活用され始め、市街地化が急速に進む。
外堀埋立てを伝える白雲桜の碑(桜町)