(3)戦時期の家屋疎開と空襲被害

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 昭和20年1月以降、空襲に備えるため家屋疎開が行われ、町の中心部である駅前通西側一帯の建物1,003戸が取り壊され、その後の空襲による被害も大きかった。
 明石市内は昭和20年1月19日から7月28日まで計6回の空襲を受け、別表のとおり約1万3千戸、約6万人が罹災し、城下町地域も多くの町が焦土と化した。
「明石市空襲状況」(『明石市史(下巻)』より)
爆撃回数 回数 来襲時刻 爆撃機数 投弾状況 被爆地域 死者 重傷者 軽傷者 全焼
全壊
半焼
半壊
小破 戸数 人口
1 20.1.19(昭和) 第1波 13:51 8 250キロ
531個
船上、林、小久保、大蔵町、大久保町、明石郡玉津町、明石郡伊川谷村 300 69 118 135 258 482 計875 ・・・
2:558
314:0517
4:1030
2 20.6. 9 1 9:54 9 500キロ
250キロ
100キロ
約60個
明石公園北東、上の丸、二、三丁目太寺、川崎航空南東、船上大坪、同権現、新明町 642 248 345 1,226 2,158 ・・・ ・・・ 9,458人
2 :55 9
3:557
3 20.6.22 500キロ 49個
250キロ 44個
100キロ 1個
川崎航空明石
500キロ 30個
250キロ 20個
林、同宮ノ下、門田高西、東部和坂、中部和坂、鳥羽、川崎航空明石工場 25 22 32 175 373 1,364 ・・・ ・・・
4 20.6.26 9:51~56 69個 公園前通一丁目 142 66 141 357 1,093 6,384 ・・・ ・・・
5 20.7. 7 0:15~1:25 1~2機をもって、1~2分おきに来襲 油脂焼夷弾
7万個
市の中心部 6割3分焼失 355 57 133 9,075 104 36,410 ・・・ ・・・
6 20.7.28 3 250キロ 2個 明石川水管橋
合計 1,464 462 769 10,968 3,936 12,763 59,249


「明石市罹災地区域図」(部分)


昭和21年11月20日米軍撮影空中写真(部分)(国土地理院USA-M324-A-6C-13)