③観光線(東西道路)

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  中町-樽屋町の東西道路は、旧西国街道(幅6m)として賑わっていたが空襲により付近一帯が焼け野原となった。その後、都市計画街路観光線として拡幅されることとなり、昭和24年に幅20mの道路として整備された。昭和24年の地図をみると、西本町より西の中町・樽屋町と駅前通の3分の2が拡幅されている様子がわかる。その東側、本町商店街のうち神戸銀行明石支店以西の拡幅(建物移転)は反対運動を経て、昭和25年度末に完成した。以東は南へ緩やかに伸びる斜線の計画であったが紛糾の結果、直線に変更され、昭和32年度事業として街路拡張が終了した。
『復興明石案内図』昭和24年4月
『復興明石案内図』昭和24年4月
工事中①駅前通り
工事中①駅前通り
工事中②中町附近
工事中②中町附近
工事中③東本町から鍛冶屋町
工事中③東本町から鍛冶屋町
工事中④鍛冶屋町から東本町
工事中④鍛冶屋町から東本町

  多くの建物を移転して行われた大規模な工事により、20mや30mに拡幅された道は車の流れを円滑にしたが、道を挟んだ向い合わせの通り店を合わせて一つの町とする、城下町建設当時から残る“お向い”という町の繋がりが薄らいでゆく契機にもなった。

現在の東本町・鍛冶屋町