(1)「織田(おた)家長屋門」

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 JR明石駅を北に出ると明石城跡の中堀が見える。中堀に沿って西へ400mほど歩くと、グリーンヒルホテルの西に、明石藩の家老を務めていた織田家の長屋門がある。かつてこの辺りは西堀端丁と呼ばれ、明石藩の重臣たちが住む屋敷が並んでいた(P15「文久年間明石町之圖」参照)。しかし、廃藩後の士族の転出や屋敷地の耕地化に加え、明治21年に開通した山陽鉄道(現JR山陽本線)がこの武家屋敷地を東西に貫通し一帯は大きく変貌した。さらに戦災や水害によりほとんどが失われ、現在市内で武家屋敷の面影を残すのは唯一この長屋門だけである。門に使用されている太鼓鋲(たいこびょう)、蝶番(ちょうばん)、飾り金具は室町時代の様式を備える。元和5年(1619)明石城築城の時、林崎の船上城にあった屋敷を移築したと伝えられ、長屋門もこの時移されたと考えられている。昭和45年に明石市文化財の指定を受ける。

織田家長屋門