明石・織田家の先祖は、越前(福井県)丹生郡織田(おた)庄の豪族の出身という。織田信長の父織田信秀の弟にあたる織田信康からはじまる。
初代信康は、天文6年(1537)、犬山城主になった。天文16年(1547)、美濃の稲葉山城に斎藤道三を攻め、討ち死にする。
二代信清は、犬山城を継いだが、従兄弟の信長と合わず夫人も信長の妹だったことから、信長との争いを避けて犬山城を去った。元亀元年(1570)のことである。その後、武田信玄の客分となり津田姓を名乗った。信玄の死とともに、以前信清の家来であった陸奥(青森県)二本松の生駒親正のところに身を寄せた。のち讃岐(香川県)に所替えになった生駒氏に伴い四国へ渡った。
三代信益は、父信清の死後四国を去り高野山で暮らしていたところ、犬山城主だった名家であり、一族でもある信益を惜しんだ淀君や徳川秀忠夫人(於江の方)の口利きで、福井藩主徳川秀康(結城秀康)に客分として迎えられた。信益の次女(奈和子・長寿院)は、秀康の室となり六男直良(明石八代城主直明の父)が誕生する。
四代信勝(?〜1677)