冨信の墓石(雲晴寺)
六代信憲宝永元年(1704)7月家老として登用され、石高は「御家老侍大将仕置役御役料共八百石」となり、以後明治4年(1871)の廃藩置県まで家老職として続いた。正徳3年(1713)姓を元の織田に改める。
『津田家小史』に次の付記がある
本苗織田に改めるについて「織田家譜要記」には次の覚書がある。
左の通り御願の処願之通相識
口上之覚
私只今の名先祖に御座候処先年大殿様より相改め仰、仰付有難く存じ
即(ママ)刻四代以前織田十郎左衛門と申す本名之儀に□御座候間私儀織田に
相改め名苗字共に相続仕度聞願度此段御仰(ママ)を以て相違、御聴願之通に
仰付□難□可聞存(ママ)候右之趣然る可様御取成可被下度願入存(ママ)候以上
正月29日(1713) 津田十郎左衛門
間宮源兵衛 様
美濃部丹下 様
今枝半右衛門様
七代常晋(1714〜1778)、享保16年(1731)「御家中知行高并役附」(神戸市・森本家所蔵文書)では、常晋は「織田左右衛門菊三郎」と記され、石高は「五百七十石」である。
八代信達(1744〜1820)
九代信睦(1802〜1842)