(4)明治以降

30 ~ 30 / 107ページ
 十一代信見(のぶみ)(1853〜1928)は、明治7年には、山田村に移転し、明治22年市町村制実施とともに、明石郡垂水村の初代村長に選出された。「新制度による初代村長ということで、いろいろと苦労も多かったようである。明治24年11月、英昭皇太后陛下、舞子行啓のとき、村長は誠意を尽くして奉迎し、舞子松林中に千二百燭光の電灯を照らして、松林の夜景を上覧に供して好評を博したと伝えられている」(『垂水百年のあゆみ』)。明治25年9月、家事の都合により退職。明治42年3月より垂水村の村会議員を務めた(大正2年3月まで)。
 『津田家小史』に、大正8年の「裁判宣告書」が載せられている。「原告織田信見外29名」が「元明石藩士族家禄不足額給与」を「被告大蔵大臣 高橋是清」に請求したもので、廃藩に際し家禄計算の不備による不足額を請求し、これが認められたものである。大正半ばにあっても、旧藩士の代表として尽力していたことが窺える。