(1)織田塚

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 織田豊子さんは、昭和40年に犬山城が国宝になった際「先祖の菩提寺はどこだろう」と捜しはじめた。犬山や岐阜を訪れたが分からなかった。しかし岐阜では岐阜城館長らの協力で、初代の信康を祀った「織田塚」がみつかり、昭和44年9月には豊子さん、地元の人たちが供養したということが『あかいし19号』(特集城下町明石)に述べられている。織田塚は岐阜市霞町の住宅地の中にあり、小さな空き地に五輪塔が五基あるだけである。斎藤道三に敗れた犬山城主信康ら一千人に余る戦死者を地元上加納の百姓たちが埋葬し土を饅頭型に盛り上げたもので、この塚を物見塚とよんでいたが、後日織田塚とよぶようになったということが、説明板に書かれている。戦後、除けてしまおうという話が持ち上がったが土地の人が保存を運動して残った。2013年に岐阜市文化財の指定を受け、「元町一丁目織田塚保存会」が管理している。

織田塚(岐阜市)