大山家もと屋敷と桑原家「文久年間明石町之圖」
大山家は、周囲の人家が減り治安が悪くなったため移転を考えていたところ、桜丁の桑原家が旧藩主松平氏とともに東京へ移ることになり桑原家を購入した。当時明石第五十六国立銀行に勤めていたヤスさんの祖父大山安治が購入した。「もと屋敷」は山口氏に貸して「山口旅館」(注)となり、駅前で便利がよいことから繁盛したようだ。
(注)「山口旅館」は「大日本職業別明細図第312号(昭和7年東京交通社)に載る。『兵庫県商工名鑑』(昭和14年)に「旅館業山口徳二郎錦江町」の記載がある。
山口旅館(「明石略図」明治44年)
昭和20年、国鉄「明石駅」が戦災で焼けたとき、仮駅舎の建設地として大山家「もと屋敷」と隣接の当時旧藩主松平氏が所有していた土地は、国に坪1円ぐらい、ただ同然で買い上げられた。20年ぐらい後、国鉄がもとの場所に再建されたとき、その土地を買い戻すべく松平氏とともに嘆願したが叶わなかったということである。