防空壕……爆風を避けるために作られたもので、出入口は2ヶ所あったが、現在、庭に出る北側は塞いで壁にしている。西明石に川重(旧川航空機明石工場)があったので明石も空襲があるだろうから、その時は「浜に逃げろ」と言われていた。実際、浜に逃げた人たちは助かったと聞いている。以前は王子小学校付近の民家にも防空壕があったが、既に解体してしまっており、現在では明石市内では唯一1軒田中家宅が防空壕を残している。戦時中には3軒に1つの割合で防空壕があり、町内には10軒くらいにあり、10人くらい入れる広さがあり、みんなで協力して掘ったそうである。なお、鍛冶屋町は幸いにも空襲も戦後の大火災にも免れている。
写真9 防空壕
写真10 昭和40年代店の前