≪田中金物店≫

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 江戸時代の終わり、後継ぎがいなかった淡七金物を譲り受ける。かつては銀座通りに面したカフェー養気亭(写真1 地図5)と金物店の両方を経営していた。田中家の外観は現代風になっているが、外壁をはずすと元の江戸時代以来の中2階のつくりが現れる。奥行のあるつくりで、昔は中2階の2階部分に住んでいたが、明治時代に奥の庭だった部分を増築し、そこを住まいにしている。増築した家屋の地下に防空壕が残っている。
防空壕……爆風を避けるために作られたもので、出入口は2ヶ所あったが、現在、庭に出る北側は塞いで壁にしている。西明石に川重(旧川航空機明石工場)があったので明石も空襲があるだろうから、その時は「浜に逃げろ」と言われていた。実際、浜に逃げた人たちは助かったと聞いている。以前は王子小学校付近の民家にも防空壕があったが、既に解体してしまっており、現在では明石市内では唯一1軒田中家宅が防空壕を残している。戦時中には3軒に1つの割合で防空壕があり、町内には10軒くらいにあり、10人くらい入れる広さがあり、みんなで協力して掘ったそうである。なお、鍛冶屋町は幸いにも空襲も戦後の大火災にも免れている。

写真9 防空壕


写真10 昭和40年代店の前