「柄屋(エーヤ)さん」と呼ばれていた店の主人・正司吉昭さんは、国鉄(現JR)に勤務しつつ鍬やハンマー、つるはしなどの農具の柄を専門に作る職人だった。金槌、天秤棒、船の櫓、うどんの箸、のこぎり、ハンマー、その他いろいろなものを作っていた。淡路からも注文があったという。昼間に父親が面取りしたものを、国鉄の仕事を終えて帰宅した吉昭さんが削っていったという。材料になる木材はトラックで岡山県落合から、10本単位で運ばれてきた。おもに樫の木だった。生の角材を屋根の上で乾かせると、火であぶり、のばす。寸法を見ながら角材を廻して真っすぐにしていく。これらの話は、昭和32年に吉昭さんとご結婚された妻正子さんからお聞きしたもので、夫の吉昭さんは平成28年(2016)に90才で逝去されている。今も仕事場はそのままに残されており、よく手入れされた道具とともに鍬や金槌の柄が残されている。なお、「柄屋さん・正司」については『播磨路の職人さん』(田下明光1998年)に詳しく紹介されている。それによると、正司さんの家が鍛冶屋町で仕事を始めるようになったのは、おじいさんの喜代太さんの時から。明治6年(1873)生まれの喜代太さんは淡路島の育波(現淡路市)の出身で、明治20年代に今の明石市西新町に奉公に出て柄作りを習ったそうだ。そして、明治30年代頃から現在の場所で一人立ちして店をかまえたという。