≪松下青果店≫

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 鍛冶屋町の最西端、本町通の南側にある青果や割烹材料の卸売専門店。元は乾物商で、江戸時代から現在地で商いをしている。屋号は「布伊」、代々「布屋伊兵衛」を名乗っているが、“布屋”のいわれは不明である。菩提寺の正徳寺には「布屋伊兵衛」銘の石塔と「安永(1772~1781)」「天明元年(1781)」や「天明三(1783)」銘の墓石があり、布屋の歴史を伝えている。大正11年(1922)発行の『明石市商工案内』には青物商として、日露戦争に出征した松下又三郎の名前がある。伊川谷の出身であり、現在も伊川谷方面の農家との取引が多い。昔の家屋は250年以前のものであったが、昭和40年頃に建て替えられた。
写真19 「布屋伊兵衛」銘の石塔
写真19 「布屋伊兵衛」銘の石塔
写真20 布伊 現在の店
写真20 布伊 現在の店
写真21 明治31年『明石町商工人名』“村下”は松下の誤り
写真21 明治31年『明石町商工人名』“村下”は松下の誤り

 本来、北(間口6間)と西が道に面した南北に細長い(奥行約16間)形状の角地だが、裏庭や蔵部分に相当する南側約三分の一を西側道路に面した西向きの店舗(3軒分)として賃貸しをしていた。屋敷地の分割利用の一例である。大正期にはすでに分割されていたようであるが、詳細は不明である。