目次
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各論
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2.町屋
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暮らし
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東本町
≪富士の山菓舗≫
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創業安政3年(1856)、現在の主は6代目である。断片的な記録が伝わっていて、それらから店や地域の歴史を辿ることができる。元は淡路蟇ノ浦(ひきのうら)の島田氏であったが、利右衛門(初代)の時に明石へ移り東本町の糀屋へ奉公する。安政の初め頃には八軒町の角で菓子問屋を営んでいたが、隣家からの火災により店は全焼する。安政3年(1856)、富士登山の旅に出、その帰りに大坂に立ち寄り、富士山の型をしたせんべい道具(鉄の焼き型)を注文する。火災からの復興や家の繁栄を願う旅であったのであろうか、その旅で感銘を受けた富士山の姿が、時を経て店の看板になる。旅から帰った後、当津村(材木町の西)に住み、せんべいを焼き始める。明治の初めに、かつて奉公した東本町の糀屋のすぐ近くに店を構える。その頃から「富士」姓を名乗り、利三郎(3代目)の時に菓子の他に茶・煙草の販売にも力を入れ、一時は「富士花月堂」という名前で商工名鑑にも載る。その後、昭和16年に戦時中の材料不足により一時閉店し、昭和20年には周辺一帯の家屋疎開により店の大部分が取り壊され、7月の空襲により全焼する。昭和26年に、焼け残った「焼き型」を修理するなどして道具を揃え、バラックで店を再開した。そして、平成29年に店は新・改築され、多くのせんべいが焼き継がれている。
茶箱の前の富士利三郎氏(明治22年明石町初代町会議員)
昔の店先①(煎餅)
昔の店先②(煙草)
広告(明治38年『明石舞子の古今誌』)
昔の焼型
現在の焼印
今も現役、明治時代の時計
イングラハム社(アメリカ)製