明治38年当時、明石郡内でのマッチ製造数量は、神戸市(国内最大)、川辺郡に次ぎ県内第3位であった。大正10年の明石市街地図にも西新町から大蔵谷にかけて多くの「マッチ工場」が記載されていて、明石の重要な産業であったことがわかる。また、昭和12年の調査ではあるが、戎町・新浜周辺地域を対象に実施された「漁家経済基本調査」によると、妻の副業の第1位がマッチ工場の女工、2位がマッチ小箱貼(内職)であり、3位の延縄繰(はえなわぐり)や編物仕立など他を圧倒しており、マッチ産業が地域経済に与えた影響は大きかった。
明石市街地のマッチ工場分布(大正10年)
マッチ箱貼