昔の店先1 | 昔の店先2(右は麹屋京作) | “明石谷米”を誇る広告 |
明石藩医松浦家の家紋瓦 | 岩屋神社玉垣「青木精米所」 |
この通りには北から、「山本」「青木」「中村」の3軒の米屋があった。大正7年8月の米騒動では、12日から「山本」を初め、近くの米穀商などが襲われ「青木」も焼き討ちされる寸前であったが、13日に姫路から軍隊(姫路歩兵第三十九連隊)が派遣され、警戒・取締にあたったため難を逃れ無事であった。
米騒動を伝える記事①(大正7年8月13日神戸又新日報)
米騒動を伝える記事②(大正7年8月14日神戸又新日報)
明治期の大福帳や米相場を知らせる新聞、藩医松浦家から引き継がれた家屋の家相図などが伝わる。庭には明石城内にあったものだといわれる石燈籠がある。
昔の家屋の家相図
旧城内にあった灯籠