≪麹屋京作≫

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 西本町の明淡通西側にある麹屋。屋号は「京作」、代々「京屋作兵衛」を名乗り、現在は15代目であるが、京屋のいわれは不明である。越前大野から松平の殿様にともなって明石へ来たと伝わる。この殿様とは明石藩第8代藩主松平直明のことで、天和2年(1682)に明石へ入部している。店の建物は2017年に通りに面した2階部分に覆いをして看板を掛け直したが、家屋本体は昭和20年の空襲からも免れ、昔のままで250年以上経過しているといわれている。2階では立派な棟木や梁・柱などの躯体が現れていて、時の重みを感じる。幕末頃の当主に茶人がいて「尚古園」と号し、2階に茶室を設け知人を招いて茶を楽しんでいたようで、近年まで、多くの茶道具が残っていた。また、第二次大戦後は「尚古園茶舗」という名前で茶を販売していた時期もあり、当時の茶箱や大きなガラスのショーケースが今も店頭にある。ここ「京作」の北隣は明治20年頃まで明石藩時代の藩医「松井家」であり、明治16年の資料には「松井保尚西本町内外科医」として記載されている。松井家の元純は190石取で、嘉永6年(1853)には松浦元瑞と同様に緒方洪庵の門人となっている。こうしてみると、「京作」は江戸時代には、南に「松浦」北に「松井」という、藩医に挟まれた家であったことになる。古文書などの記録資料的なものが残っていないため詳細は不明であるが、最後の明石藩主松平直致から拝領した着物の他、小刀・三つ葉葵紋入り盃(台付き三重重ね)や家紋入りの陣笠、多くの提灯などが伝わっている。また、裏庭には明石城内にあったとされる石灯篭が据えられている。敷地の奥(西南)は仕事場で、3m×6mほどの半地下式、レンガ積みの室(ムロ)がある。その北側に離れがあり、戦前までは9月~3月に姫路や佐用方面から5、6人の杜氏が来ていた。家には住み込みの女中も2人いた。

昔の店


今の店(全体の構造は昔のまま)