明治期の「商工名鑑」類には、①塩魚商(塩魚問屋・仲買)として、飯尾和平、慶応年間開業の岡本善右衛門、小川亀蔵、明治18年開業の柏木善次郎、慶応年間開業の岸本宇之助(松宇)、明治28年開業の岸本小一郎、明治5年開業の殿界房吉、内藤弥兵衛(二見屋)、②蒲鉾及食料品・乾物商の原田幾蔵(八百清)、③昆布商の甲谷吉太郎、④酒店の須賀熊蔵(山熊)、⑤菓子製造の内藤利三郎、⑥米穀仲買の西海榮吉、⑦油商の轟嘉兵衛(吉川屋)、⑧肥料商の五百蔵計之助、⑨活版所の五十嵐、⑩内外科医の内田英一、⑪縄莚叺商の前田冨彌の名前がある。このように、“魚町”であっても、東とは異なり、魚関係以外の多くの業種が集まっている。これは、城下町の中心地で、街道や港を抱える「中町」に隣接していて、交通の便が良く、人通りが多かったためと思われる。
大正13年1月、当地の北端地に明石市役所(昭和25年には東側に新庁舎)が建設され住宅が減少した。また、昭和20年7月の空襲によって町全体が焼失、戦後に新しい住民が増え、以前からの住民が少なくなり、西魚町は大きく変貌していった。このような状況を経て、現在に伝わる屋号は、塩魚仲買の飯尾と内藤(二見屋)、食料品販売の原田(八百清)のみとなった。
西魚町と市役所(旧)周辺(昭和40年頃)