城内の行事 | 城下の祭り | |||
1月 | ||||
15日 | 御乗初 | 15日 | 左義長(新浜) | |
2月 | ||||
2月16日より9月晦日まで御供股引遠慮 | ||||
3月 | 3日 | 上巳御礼 | 25日 | 雛形祭(休天神社) |
4月 | ||||
4月1日より9月8日までは、殿中足袋遠慮 | ||||
21日 | 例祭(明石神社) | |||
5月 | ||||
5日 | 端午御礼 惣出仕 | |||
6月 | 30日 | 愛染さんの祭り(材木町) | ||
御堀藻取始 | ||||
7月 | ||||
24,25日 | 夏祭り(休天神社) | |||
8月 | 朔日 | 八朔御礼七夕之通 | ||
9月 | ||||
13日 | 岩屋大明神祭礼 | |||
10月 | ||||
13日 | 秋祭り(岩屋神社) | |||
11月 | 朔日 | 月並御礼 | ||
12月 | ||||
大晦日 |
(注)城内の行事は、桜谷忍編『明石郷土史料』を、城下の祭りは『式内社調査報告第22巻』、黒田義隆著『郷土明石風土記』等を参考にした。城内の行事の日程は旧暦であるが、城下の祭りは新暦、旧暦が混在している。
十日えびす(稲爪濱恵比須神社) |
おしゃたか舟(岩屋神社) |
林の布団太鼓 |
左義長(明石浦)
家々でも暦に従いさまざまな行事が粛々と続けられていた。幕末に家老を務めた黒田家には二点の年中行事記録が残されており『明石藩の世界Ⅱ―藩士の日常―』(明石市制95周年記念企画展図録)に紹介されている。一点は天保8年(1837)江戸定府中の黒田長棟が記したもので、もう一点は長棟の次の当主長保が記したと推測される明治2年(1869)の明石における記録である。残念なことに天保のものは9月半ば、明治のものも6月半ばで筆が止まり、年の後半の記録がない。しかし、廃藩置県前の武家の生活を知ることのできる貴重な史料である。また、江戸時代末期に鍛冶屋町で醤油屋を営んでいた大村家にも明治19年(1886)の年中行事記録が残されていた(明石市立文化博物館に寄贈、収蔵されている)。大村家の文書(以下「大村家文書」と記す)は、正月に神棚へ供える餅の大きさや各寺院等への盆前や歳暮の付届けの金額などが細々と記録され、また後で、その金額などを見直した跡も見られる。商家にとってそういった配慮がいかに重要であるかを物語る史料である。一般的に家ごとの年中行事はわざわざ記録されることは少なく、毎年繰り返すことによって親から子、子から孫へと伝えられている。1993年と94年に、旧藩士家である織田家・大山家(別項参照)と商家大村家において第二次大戦頃まで行われていた年中行事の聞き取り調査を行った。黒田家及び大村家の文書と聞き取り調査の中から、年中行事のうち特に大切にされている正月と盆の行事を取りあげて、各家でどのように行われていたかを見てみよう。