岬森神社(稲荷神社)
稲荷神社は明石市港町9-2と9-14の間にあり、周りを新興住宅に囲まれ非常に目立たない一画にあります。この場所は、江戸時代に明石港浚渫時の土砂を積んだ築山(月山)の南西端に位置します。現在は神社の南側にはコンテナー倉庫や茨木水産加工場等があるため、南側の景色が開けていません。かってはその前面には明石海峡を挟んで淡路島や播磨灘の景観を臨むことができました。大正時代頃には砂浜が広がり、多くの漁船が並んでいた場所です。
私が子供の頃(1955年~1963年)、この辺りの浜は砂浜であったので夏は学校(大観小学校)から帰ると海水浴をし、釣りはリールなどが無かったのでホリコミという道具を使ってカレイ、ベラ、アブラメ、テンコチをよく釣りました。突堤の岩場にはガチャメと呼んでいたワタリガニがいました。本当に子供の頃からよく遊んでいた場所です。
神社は、約105m²の神域があり、その二分の一を赤いレンガ塀で囲み、その奥中央に社殿を設けています。鳥居は柱間2m、高さ2,63mの花崗岩の明神鳥居で、笠木、貫が新しいことから最近修復されているようです(神社南側の茨木水産が管理し修復した)。大正拾年拾月(1921年)井筒與市郎、桝本貞二、桝本為吉、安井與市郎が奉納しています。レンガ塀は、煉瓦を長手だけの段、小口だけの段と一段おきに積むイギリス積みで16段107cmの高さがあり、煉瓦を内部に塗りこめたセメント研ぎ出しによる高さ25cm、幅56cmの覆い屋根となっています。最下段の石材から160cmの高さがあり、本殿側の内面は赤色顔料で全面に塗装されています。レンガ塀に取り付く一対の門柱は、21,5cm×37cm、高さ198cm以上の長尺の石材で、門柱間に敷かれている37cm×152cmの踏石とともに非常に丁寧に加工された花崗岩が使われています。なお、踏石には目立たないものの入口側に面取り加工が付されています。入って右側には手水鉢が、社殿前面には花崗岩製の一対の神狐が奉納されています。以前の神狐が壊れたため「令和参年卯月、明石住人坊某」の奉納名が、台座には「五軒屋敷漁業中」の古い奉納名があります。本殿の左側玉垣内には、「治永大神・白永大神・正永大神・伊勢永大神」と印刻された高さ104cm、最大幅68cm、厚さ約20cmの小さな石碑があります。
稲荷神社(背面) | 門柱・レンガ塀(内面) |
住宅街にある稲荷神社 | 門柱間の踏石(面取り加工) |
本殿の玉垣には東側より「第一號日進丸」「第二號日進丸」「第六號明社丸」「第八號明社丸」「第九號明社丸」「第一號進友丸」「第一號天長丸」「第一號神林丸」「第一號靏丸」社殿「第一號萬吉丸」「第二號萬榮丸」「第一號久吉丸」「第二號久吉丸」「第五號久吉丸」「第六號久吉丸」「第七號久吉丸」「第八號久吉丸」「第九號久吉丸」など18隻の船名が見られます。
明石浦漁港から見た稲荷神社(コンテナ倉庫の裏側)
明石浦漁港から見た明石海峡(稲荷神社から見えていた景観)
『船舶用最新式無聲専賣特許石油發動機カタログ(明治40年頃)兵庫縣明石港 木下鉄工所』13頁には合ノ子形生魚運搬船「第一明社丸 二〇馬力」「第四明社丸 一五馬力」「第五明社丸 二〇馬力」住所:明石郡明石町、姓名:神出鐵蔵氏と記載されています。またもう一隻も合ノ子形生魚運搬船「天長丸 一五馬力」住所:明石郡明石町、姓名:中谷甚右衛門氏の名前が見られます。写真図版34頁には第五明社丸が掲載されており、その説明文には「兵庫縣明石町神出鐵蔵氏持船 第五明社丸 船體長五十五尺、幅九尺五寸、機械二十馬力、速力九浬 合ノ子形生魚運搬船」とあります。後に説明する三好文司氏が大正13年(1924年)に建造した久吉丸に大変良く似た形をした船です。当時は明石型生船と共に、和洋折衷型の合ノ子形生魚運搬船がありました。この合ノ子形生魚運搬船については『明石型生船調査資料集・生船写真帳』の中で川元克幸氏が書かれている明石型漁船発達史(船型の変化)が参考になります。
第五明社丸『船舶用最新式無聲専賣特許石油發動機カタログ
(明治40年頃)兵庫縣明石港 木下鉄工所』34頁より
今回報告する石碑は社殿に続く玉垣内、社殿に向って右側、海に面して建立されています。石碑は扁平な石材に据え付けられ、高さ137cm、最大幅83cm、厚さ約25cmの烏帽子型をしていて石碑の裏面は一部に自然面を残し、荒く打ち掻き加工がされています。比較的硬い石材を選んでいますが、花崗岩製ではありません。石碑面は平坦に磨き調整され印刻されています。最上部中央に「大正十年十二月再建記念芳名録」とあることから、この稲荷神社の再建(1921年)に際して建立されたものと考えられます。
稲荷神社本殿 右側に「大正十年十二月再建記念芳名録」の石碑
「再建記念芳名録」の石碑
再建記念碑裏面の 自然面と打ち掻き加工 | 本殿左側の石碑 |
この石碑の内容で特に注目されるのが、明石の活魚運搬船業者、活魚船の造船所、その造船所に焼玉発動機を供給していた鉄工所などの名称が多く見られることです(第2表 寄付芳名録一覧)。さらに讃岐の関係者が13名もおり、そのうちの11名は香川県観音寺市伊吹島の漁業関係者であることが分かりました。
刻印名称 | 住所 | 職業 | 寄付金 | 備考 | ||
1 | 明石市発動機組合中 | 明石市 | 発動機 | 100円 | 日本漁船発動機協会の主要メンバー | |
2 | 前濱漁業中 | 東戎町 | 漁師 | 50円 | 兵庫県漁連 明石浦漁業協同組合 | |
3 | 西村惣四郎 | 下関市 | 海産物問屋西宗商店、一丸捕鯨 | 50円 | ||
4 | 岸本宗之助 | 大明石町 | 金陵食品、明石製氷 | 30円 | 金陵食品 | |
5 | 明石生魚合資会社 | 東本町 | 生魚問屋 | 30円 | ||
6 | 大嶋鉄工所 | 船町 | 発動機(タンク) | 30円 | 発動機始動用の空気圧縮機タンク製造 2010年まで大島水道 | |
7 | 明石発動機工作所 | 東戎町 | 発動機 | 30円 | 小杉造船所の生船向け発動機供給、朝鮮向け発動機生産。 (株)明石発動機工作所 | |
8 | 木代鉄工所 | 材木町 | 発動機 | 30円 | 明石発動機界を牽引、生船に発動機供給。(株)キシロ | |
9 | 兵庫大種 | 30円 | ||||
10 | 松岡益太郎 | 朝鮮 | (生船関係) | 30円 | ||
11 | 金井運送店 | 下関市 | (生船関係) | 30円 | ||
12 | 安森金蔵 | 下関市 | (生船関係) | 30円 | ||
13 | 吉田大吉 | 讃岐 | 伊吹島 網元 | 30円 | ||
14 | 三好大吉 | 讃岐 | 伊吹島 網元 | 30円 | ||
15 | 岩田松平 | 讃岐 | 伊吹島 網元 | 30円 | ||
16 | 水田六三郎 | 船町 | 水田商店、石炭商 | 30円 | 船町の豪商(株)水田製作所 | |
17 | 小杉造船所 | 船町 | 造船所、機帆船 | 30円 | 中部幾次郎の「新生丸」建造宗田造船(株) | |
18 | 小巻造船所 | 船町 | 造船所、小型木造船 | 20円 | 初代は九州から、屋号は「日向屋」 | |
19 | 木下鉄工所 | 錦江町 | 発動機 | 20円 | 日本の内燃機産業の先駆者 (株)阪神内燃機工業 | |
20 | 明石組 | 東仲ノ町 | 運送 | 20円 | ||
21 | 近藤厄太郎 | 東戎町 | 大工 | 20円 | ||
22 | 吉川石材店 | 材木町 | 石材 | 20円 | ||
23 | 室木春吉 | 兵庫 | 20円 | |||
24 | 山地眞一 | 讃岐(三豊) | (海産物、生船) | 20円 | ||
25 | 三好文司 | 讃岐(伊吹島) | 伊吹島久吉丸(合ノ子形生魚運搬船) | 20円 | ||
26 | 三好福治 | 讃岐(伊吹島) | 伊吹島 網元 | 20円 | ||
27 | 三好方吉 | 讃岐(伊吹島) | 伊吹島 網元 | 20円 | ||
28 | 井筒安蔵 | 15円 | ||||
29 | 明石塩魚仲 | 明石市 | (生船) | 10円 | ||
30 | 平野栄吉 | 東仲ノ町 | 生魚 | 10円 | ||
31 | 紅葉山 | 新浜 | 侠客 | 10円 | 新浜の親分 元関取の侠客 | |
32 | 鳴尾米次郎 | 樽屋町 | 運送、土木 | 10円 | 「鳴尾組」元明石市会議員 | |
33 | 白木長次郎 | 東本町 | 帆布、船具 | 10円 | ||
34 | 福井平次郎 | 東本町 | 船舶用金物 | 10円 | ||
35 | 徳田安吉 | 10円 | ||||
36 | 八百清 | 東本町 | 海産物問屋 | 10円 | ||
37 | 橋本長太郎 | 10円 | ||||
38 | 服部林蔵 | 大蔵三丁目 | 海産物問屋 | 10円 | ||
39 | 山田政吉 | 船町 | 櫓、櫂、梶製作 | 10円 | ||
40 | 福田清蔵 | 東戎町 | 小型木造船 | 10円 | ||
41 | 山崎國松 | 10円 | ||||
42 | 福嶋種吉 | 10円 | ||||
43 | 山根芳太郎 | 10円 | ||||
44 | 槇田久 | 高松 | 発動機 槇田鉄工所 創業者 | 10円 | (株)マキタもディーゼルエンジン製造 | |
45 | 林虎吉 | 7円 | ||||
46 | 丸一問屋 | 中町 | 海産物問屋 中濱清三郎 | 5円 | ||
47 | 玉垣源兵衛 | 樽屋町 | 精綿 | 5円 | ||
48 | 安藤船具店 | 船町 | 船具 | 5円 | ||
49 | 川栄嘉吉 | 5円 | ||||
50 | 井筒平吉 | 5円 | ||||
51 | 伊藤音吉 | 5円 | ||||
52 | 白川孫助 | 錦江町 | 煙草 | 5円 | 白川商店 | |
53 | 佐藤種吉 | 5円 | ||||
54 | 田口角太郎 | 上水町 | セメント | 5円 | 田口建材 | |
55 | 田中佐吉 | 5円 | ||||
56 | 三由亀吉 | 5円 | ||||
57 | 吉川伊之吉 | 一番町 | 石炭 | 5円 | ||
58 | 石井材木店 | 林崎 | 材木(木造船) | 5円 | 明治時代は材木町、現在は硯町。日向弁甲材・飫肥杉を取扱い | |
59 | 大前金蔵 | 5円 | ||||
60 | 徳田和助 | 5円 | ||||
61 | 林庄吉 | 5円 | ||||
62 | 丸尾政治 | 5円 | ||||
63 | 福田辰蔵 | 5円 | ||||
64 | 井筒重吉 | 5円 | ||||
65 | 丸尾國松 | 船町 | 釣り道具商 | 5円 | ||
66 | 山田熊吉 | 5円 | ||||
67 | 河合太吉 | 船町 | 質屋 | 5円 | ||
68 | 酒井友三郎 | 材木町 | 質屋 | 5円 | ||
69 | 濱田豊吉 | 5円 | ||||
70 | 松葉すし | 鍛冶屋町 | 料理屋 | 5円 | ||
71 | 二宮金二郎 | 船町 | セメント | 5円 | ||
72 | 岡宇一 | 5円 | ||||
73 | 福田英太郎 | 5円 | ||||
74 | 松井惣次郎 | 高砂 | 5円 | |||
75 | 真鍋義三 | 讃岐 | (生船関係、伊吹島、観音寺) | 5円 | ||
76 | 合田松蔵 | 讃岐 | (生船関係、伊吹島、観音寺) | 5円 | ||
77 | 三好和一 | 讃岐 | (生船関係、伊吹島、観音寺) | 5円 | ||
78 | 阪井清蔵 | 讃岐 | (生船関係、観音寺網元) | 5円 | ||
79 | 合田市蔵 | 讃岐 | (生船関係、伊吹島、観音寺) | 5円 | ||
80 | 三好荘介 | 讃岐 | (生船関係、伊吹島、観音寺) | 5円 | ||
81 | 濱崎角蔵 | 世話人 | 東戎町 | 海産物、山房 | 50円 | |
82 | 戎熊吉 | 世話人 | 東戎町 | 桶、樽 | 50円 | |
83 | 伊藤徳三郎 | 世話人 | 東戎町 | 40円 | ||
84 | 今津藤吉 | 世話人 | 東戎町 | 30円 | ||
85 | 川崎豊吉 | 世話人 | 東戎町 | 10円 | ||
86 | 朝川勇蔵 | 世話人 | 東戎町 | 10円 | ||
87 | 朝川兼石 | 世話人 | 東戎町 | 10円 | ||
88 | 増田徳松 | 世話人 | 東戎町 | 10円 | ||
89 | 新田鹿蔵 | 世話人 | 東戎町 | 10円 | ||
90 | 井筒源蔵 | 発起人 | 東戎町 | 鮮魚運搬、生船 | 300円 | |
玉垣の刻印 | ||||||
91 | 第一號日進丸 | |||||
92 | 第二號日進丸 | |||||
93 | 第六號明社丸 | 第一明社丸・第四明社丸・第五明社丸は明石郡明石町、神出鐵蔵氏の船(合ノ子形生魚運搬船) | ||||
94 | 第八號明社丸 | 第六號明社丸・第八號明社丸・第九號明社丸も合ノ子形生魚運搬船の可能性がある | ||||
95 | 第九號明社丸 | |||||
96 | 第一號進友丸 | |||||
97 | 第一號天長丸 | 天長丸は明石郡明石町、中谷甚右衛門氏の船(合ノ子形生魚運搬船) | ||||
98 | 第一號神林丸 | |||||
99 | 第一號靏 丸 | |||||
100 | 第一號萬吉丸 | |||||
101 | 第二號萬榮丸 | |||||
102 | 第一號久吉丸 | 第一號久吉丸から第九號久吉丸は90井筒源蔵氏(井筒組)の持ち船の可能性がある。 | ||||
103 | 第二號久吉丸 | 25三好文司氏の久吉丸(合ノ子形生魚運搬船)と同じ名前 | ||||
104 | 第五號久吉丸 | |||||
105 | 第六號久吉丸 | |||||
106 | 第七號久吉丸 | |||||
107 | 第八號久吉丸 | |||||
108 | 第九號久吉丸 | |||||
⛩の刻印 | 大正拾三年拾月(1924年10月)奉納 | |||||
109 | 井筒與市郎 | |||||
110 | 桝本貞二 | 東戎町 | 鮮魚運搬、生船 | 桝本海運 | ||
111 | 桝本為吉 | 東戎町 | 鮮魚運搬、生船 | |||
112 | 安井與市郎 |
石碑の発起人は井筒源蔵、世話人衆桝本貞二他となっています。井筒源蔵(明石市戎町)は、鮮魚運搬生船業者であり、寄付している中には多くの取引先が含まれています。玉垣には持ち船(明石型生船)である「第一號久吉丸」「第二號久吉丸」「第五號久吉丸」「第六號久吉丸」「第七號久吉丸」「第八號久吉丸」「第九號久吉丸」の船名が刻まれています。木下鐵工所『焼玉機関出荷台帳』によると、井筒源蔵には大正14年の第十一久吉丸(193頁23行目)、大正15年9月の第二神勢丸(196頁5行目)住所:明石市戎町、造船所:朝鮮甘浦今西造船所、昭和3年4月の船名不明(205頁3行目)住所:明石市に焼玉エンジンを提供していることが分ります。しかし、井筒源蔵(井筒組)については明石商工名鑑にも記載が無く詳細なことは分からない人物です。
桝本家は明治4年(1871年)創業の生船業者で、当主は代々桝本市兵衛を名乗っていました。戦後桝本海運産業株式会社(明石市中崎)として外航船に転じ自動車運搬船、タンカー、ばら積貨物船などを所有し、本社は昔から明石にあります。桝本貞二は、鳥居にも名を刻んでいます。『朝鮮水産開發史』昭和29年(1954年)には「大正十三年には林兼や葛原商會を始めとして、高雄萬吉・井上庄七・桝本貞次・濱田惟和等が本格的サバ漁業に進出した。」と述べられており、貞二と貞次の一字が異なるが同一人物の可能性が考えられないだろうか。
寄付芳名録の上位にある前濱漁業中の前濱は、岩屋神社の前にある濱で東戎町の漁師町のことです。岩屋神社より西の漁師町を新濱と呼びますが、江戸時代の漁場争の古文書には前濱、新濱と分けて書いてあります。前濱も新濱もいかなご、鯛、蛸、穴子など明石のブランド魚を採っています。前濱や新濱は一本どっこと言われ、多人数で組んで採るイワシ漁はやりません。いかなご(玉筋魚)は昔から明石の名物なのですが最近めっきり採れなくなっています、その分明石海苔が伸びてきています。
『水産名鑑』1939年(昭和14年)には明石浦漁業協同組合の記録があり、明石市新濱町三丁目、明治36年(1903年)1月21日設立、組合員総数344人、昭和10年(1935年)の主要漁業漁獲高は、タイ21,544円、スズキ17,724円、サワラ57,793円、ハマチ35,602円、其他174,554円の合計307,220円(正誤307,217円)であったことが記録されています。昭和11年の合計は297,633円、昭和12年の合計は303,702円でした。当時から明石鯛がブランドになっていたのが分ります。
その次に名前がある西村惣四郎は、安政2年(1856年)生まれで下関の海産物問屋西宗商店創業者、下関水産会社、下関製罐所、下関市会議員、トロール漁業、一丸捕鯨、以西底曳網漁業、鮮魚運搬、南洋開発などを手掛ける下関の大富豪でした。大正12年(1923年)69歳で没した人物です。