6.まとめ

22 ~ 22 / 370ページ
 私の生まれ育った町、岬森神社(稲荷神社)で新たに見つけた石碑や『明石商工名鑑』をもとに大正時代から昭和初期の材木町、船町、新浜、戎町界隈の歴史を調べてみました。
 明石の鮮魚仲買商「林兼」の中部幾次郎は、後の大洋漁業、現在のマルハニチロの創業者として有名ですが、今回の調査ではその名前が出てきません。これは明治37年(1904年)にはすでに明石から下関にその活動拠点を移し活躍していたからです。今回報告した石碑にその名が無いことからも、発起人の井筒源蔵は下関の西村惣四郎の系列につながっていたように思われます。おそらく井筒源蔵の井筒組は昭和3年(1928年)から昭和6年(1931年)に伊吹島の網元と鯖機船巾着漁業を共同経営し、持ち船(明石型生船)である「第一號久吉丸」「第二號久吉丸」「第五號久吉丸」「第六號久吉丸」「第七號久吉丸」「第八號久吉丸」「第九號久吉丸」などで鮮海地域より鯖を下関に運搬していたものと考えられないでしょうか。その下関での買付け及び資金源として西村惣四郎の水産会社があったのではないかと思われます。
 これらの事から、今後その芳名録に印刻された人物や会社の関係性を詳細に調査すればこの石碑から、生船と発動機で栄えていた船町、東戎町の姿がもっと読み取れるかもしれません。