私は廃艇の小型ヨットを購入し修復工事を終え海に浮かべたあと10数年間日帰りのセーリングしかできなかった。それは明石海峡の西口にあたる係留地明石・二見の沖合そしてそれに接続する明石海峡が怖かったからである。
明石海峡では大潮期に最強流速が7ノットを超えることがある。また、明石海峡西口にあるセメント磯沖合で「イアイニチ」と呼ばれる三角波が、さらに冬には西ないし北西の季節風と下げ潮流(東流)がぶつかり三角波が発生する。古来機帆船が多く遭難した。私は冬季それを知らずにその海域に入った。船尾30度より押し寄せる三角波に翻弄され、艫(とも)(船尾)から海中に引きずり込まれるような恐怖を覚えた。以後一緒に乗っていた妻は私のフネに乗らなくなった。
セメント磯より南方沖合にあるカンタマ、高倉瀬付近に行くと明石海峡の潮流がまるで大河のごとく流れている。潮の色も違うし、ゴーゴーという音を立てて流れているかのようだ。その流れを直角に横切ろうとすると船体がスーっと潮流が流れる方向にもっていかれる。
生船はしっかりした発動機を備えてはいたが、燃費、速力等を考慮してあらかじめこの急潮流を計算に入れ連れつれ潮しお(順潮)に乗り航行したのではなかろうか。私はもちろん連れ潮2~3ノットを狙って航行する。そうしなければ前進はおろか押し戻される。
明石海峡
鳴門海峡
私はまだ自分のフネで鳴門海峡を通ったことがない。おそらく将来も通峡することはないだろう。理由は一言、鳴門は怖い、私の手に負えぬから。
そこで昭和45年(1970年)ごろに税関職員として監視艇で淡路島を周航したときの思い出を記してみたい。
監視艇は全長15メートル、材質が税関監視艇としては初めての軽合金製、巡航速力20数ノットを有し、世界最高水準の性能を誇っていた。
就役間もない2月ごろ西風をまともに受け、激浪で船首船底がドシンドシンと突き上げられるような強烈なパンティングを繰り返しながら和田岬を航過。風雨が激しくなる中、沼島(ぬしま)をかわし鳴門海峡中央部手前に差し掛かったとき、一瞬目を疑った。眼前に広がる海峡の端から端までいっぱいに、まるで河岸段丘のような高さが3mはありそうな〝潮流の段丘″が築かれている。そしてそれが圧倒的な重量感をもって文字通り怒涛のごとくわたしたちの監視艇に迫ってくる・・・。「何や!・・・。」
舵を取っていた船長が一瞬たじろぎを見せた。新艇の航行試験を兼ねていたので、オブザーバーとして乗船していた設計者である営繕専門官がそれに気づき、「わしが設計したフネや、大丈夫や」というや、船長から舵をもぎ取った。その瞬間艇は潮流の壁に突っ込み一瞬潜水艦になり、次の瞬間船首から海面に浮上。
しばらくの間、事務官で声を発するものはいなかった。その動く"海の段丘"は、まさに叫び声をあげて太平洋へ帰っていく下げ潮流の大移動であった。
筆者が乗組んだ神戸税関監視艇(同型艇)
(2005.5兵庫波止場)
《4級海技士(航海)過去問題》
「日本近海における潮流の激しい場所を最も激しい順に4つあげ、その最強流速と上げ潮流の流向を記せ」
《解》1番:鳴門海峡 10ノット 北流 2番:来島海峡 9ノット 南流
3番:早鞆瀬戸 8ノット 西流 4番:明石海峡 7ノット 西流
以上が国家試験の模範解答である。瀬戸内海には日本近海での1番から4番までの最強潮流が控えているのである。ちなみに、生船の巡航速力は約9~12ノット、わが愛艇の機帆走時の速力は3.5~4ノットである。