島根大学学術研究院農生命科学系 伊藤康宏
元生船業者の日野顕徳氏から生船関連史料の整理と取り纏めの依頼が倉田亨近畿大学農学部教授にあり、1985年12月に「生船史」研究会が発足した。筆者も当時、大学院生で研究会のメンバーに加わった。その成果として『生船史』の出版が計画されたが、頓挫した1。本稿は第2章として執筆したが、その未定稿が30年数年ぶりに日の目を見ることになり、本資料集に収録されることはたいへん嬉しく思う。ひとえに日野賀正氏をはじめ関係者各位にお礼申し上げる(以下、敬称略)。
ところで第2章の原稿には先行研究を取り上げていなかった。まずこの点を補足し、研究史上の位置を確認しておく。近代の西日本・瀬戸内海の産地から大阪市場向けの活魚運搬2について歴史的特徴を明らかにしたのは河野通博と酒井亮介の研究に限られる。河野は歴史地理学の視点から河野「瀬戸内海の活魚運搬業1―明治以後淡路富島におけるその展開」(『瀬戸内海研究』第6号、1954年3月)を20世紀半ばに発表している。その後、河野『漁場用益形態の研究』(未来社、1962年)「補論第3.瀬戸内海の活魚運搬業」に河野1954を「Ⅰ.明治以後淡路富島における活魚運搬業の展開過程」に改題・転載し、併せて「Ⅱ.下津井の鮮魚運搬業」を書き下している。さらに河野『光と影の庶民史瀬戸内に生きた人々』(古今書院、1991年)では「第六章 海上の道 六、イケフネ、ナマセン、ブガイ」に上記の論考を平易に要約・解説している。一方、酒井『雑喉場魚市場史』(成山堂書店、2008年)は「大阪の生魚流通」を副題に前近代・近代の消費地大阪・雑喉場の生魚流通とその集荷先を取り上げている。さらに酒井「桜鯛と魚島季節(うおじまどき) 活魚船(いけふね)輸送から活魚トラックへ」(『水産振興』第356号、2012年8月)は近現代の活魚運搬の変遷を取り上げている。