1897 | M30 | 中部幾次郎、汽船淡路丸を押送船に活用(動力ボート漕ぎ時代の幕開け) |
1903 | M36 | 中部幾次郎、(第一)新生丸(12トン・8馬力)竣工・稼働 |
1910 | M43 | 中部幾次郎、第二新生丸(25トン・馬力不明)竣工・稼働 |
1911 | M44 | 濱口実右衛門、1号住吉丸(スウェーデン製、15馬力)竣工・稼働 |
1916 | T5頃 | 国産の有水式焼玉機関登場・普及 |
1925 | T末頃 | 国産の無水式焼玉機関登場・普及 |
1928 | S3 | 富島発動機船産業組合設立(大量取引による歩戻し期待) |
1930 | S5 | 富島発動機産業組合改組(生魚運搬、製氷、鉄鋼の3業務体制) |
1931 | S6 | トシハツ組設立(朝鮮での買付専門)、大阪魚株式会社設立 |
1936 | S11.9 | 富島水産株式会社設立(濱口好代表) |
富島の生魚取扱業者は昭和期に入り、統合・組織化を段階的に進めて行った。1928年(昭和3)の富島発動機船産業組合設立(生魚運搬業務)、1930年に同組合改組4(生魚運搬、製氷、鉄鋼の3業務実施)、1932年に同組合業務拡充(保険代理業務開始)、1931年にトシハツ組設立(朝鮮でのヒラメ買付け業者の組織化)、そして1936年9月に富島水産会社株式会社設立の変遷を辿った。富島発動機船産業組合からトシハツ組を経て富島水産株式会社に至る組織の変遷過程は、中小の漁獲物運搬業者(以下、業者と略す)の統合・組織化であった。戦時統制前に経営統合が段階的にかつ自主的に図られた点が大手水産会社の統合・系列化とは異なる歴史的な特徴と言える5。以下、各段階の組織的性格・特徴と各業者の関係を史料に沿って順番に見ていく。