1 富島水産株式会社の設立

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 1935年に九州五島海域において富島の業者間でタイの買付け競争が激化した。詳細は不明であるが、このことは前節で取り上げた富島発動機船産業組合(業者の組織化)によっても、各業者の利害調整はうまく機能していなかったものと見られる。そして、この時の過当競争の反省から1936年9月に各業者が経営統合し、富島水産株式会社が誕生した。この経緯について「昭和拾壱年拾月株主総会決議録富島水産株式会社」所収の「創立ニ関スル事項報告」によると、「漁獲物ハ往々ニシテ乱売又ハ好商ノ乗スル処トナリテ不測ノ損害ヲ蒙ル事多々アルハ之レ全ク斯業ニ対スル無統制ノ然ラシムル処ニシテ、政府カ漁村救済ヲ絶叫スルト雖モ靴ノ上ヨリ痒キヲ掻クカ如キ有様ナリ、吾人ハ斯ル不合理ナル現状ヨリ速ニ脱却シ自力更生躍進日本ノ一助タラシメントシ、茲ニ株式会社ヲ組織シ之カ統制ノ下ニ同志ノ利潤増大ヲ計画シ曩キニ本会社ノ創立計画ヲ発表スルヤ(後略)」とある。すなわち、この経営統合は昭和恐慌後の自己防衛策として取られたのである。
 まず、会社の業務を「富島水産株式会社定款」で見るとつぎのとおりである。
      第壱章 総則
  第壱条 当会社ハ冨島水産株式会社ト称ス
  第弐条 当会社ハ本店ヲ兵庫県津名郡冨島町机組七百五拾八番地ニ設置ス
  第参条 当会社ハ左ノ事業ヲ経営スルヲ以テ目的トス
   一、水産物ノ漁獲及其ノ加工竝ニ売買
   二、水産助長ニ関スル一般ノ業務
   三、前各号ニ付随スル一切ノ業務竝ニ投資
とあり、漁獲、加工、販売それに付随業務を事業とした。
 会社設立発起人は18人の業者(1人脱退)からなっていた。発起人の現物出資株数は表2のとおりである。これは発動機船付帆船と海産物売買営業権の2つを資産評価して、それを現物出資として処理している。この現物出資の評価基準は、運搬船の減価償却費評価や「海産物売買」取引実績を業者間で合意を得て算定されたと思われるが、詳細は不明である。なお、営業権については1931年8月に大阪市中央卸売市場設立の際に採用された旧問屋の営業権を算定した方式を参考にしたものと思われる9
 
表2 発起人の現物出資(株)一覧表
昭和11年9月1日現在
財産目録氏名明治生年月現物出資株数発動機付帆船海産物売買営業権(円)売上高(円)買付集荷範囲タイプ
株数評価額(円)艘数評価額(円)
1濱口實右衛門20.1179639,800632,8007,00017,500朝鮮慶南及慶北道沿岸b
2濱口好27.336018,000113,0005,00012,500九州五島及瀬戸内海沿岸ノ一部(伊予)e
3濱口仙次郎15.198049,000643,0008,00020,000朝鮮全南道及香川県小豆島付近沿岸c
4川西忠太郎23.1238019,000216,0003,0007,500山口県大島郡沿岸c
5河合寅一28.364432,200424,2008,00020,000朝鮮慶南道及九州五島沿岸a
6宗和春太郎21.41206,00014,0002,0005,000愛媛県温泉郡沿岸b
7野口濱蔵29.1127413,70029,7004,00010,000朝鮮慶北道沿岸a
8倉本武太郎25.11809,00016,0003,0007,500山口県熊毛郡沿岸d
9倉本常吉26.133016,50028,5008,00020,000長崎県彼杵郡及熊本県天草郡沿岸a
10松枝政吉25.929014,500313,5001,0002,500愛媛県西宇和郡沿岸c
11阪西竹松36.466833,400527,4006,00015,000朝鮮慶南及大分県豊後沿岸b
12三木角一29.1188044,000639,0005,00012,500朝鮮全南及慶北道沿岸a
13三木助一25.1120010,00028,0002,0005,000愛媛県越智郡沿岸c
14三木久太郎30.653026,500319,5007,00017,500朝鮮慶北道及山口県大島郡平郡村沿岸d
15日野嘉三一32.891045,500636,5007,00017,500長崎県五島及熊本県天草郡沿岸b
16日野嘉右衛門32.471035,500427,5008,00020,000朝鮮慶南及全南道沿岸a
17日野顕徳39.1247023,500215,5008,00020,000山口県熊毛郡沿岸b
18日野恒太郎27.1136418,200313,7004,50011,250朝鮮江原道蔚珍郡沿岸b
合計9,086454,30059357,80096,500241,250
平均50525,2393.319,8785,36113,403
「富島水産株式会社定款 目録」より作成
売上高は昭和6年大阪市中央卸売市場の旧問屋の営業権査定法により算出
(営業権=売上高*純利益率<0.02>÷公定利率<0.05>)

 ともあれ現物出資合計454,300円、そのうち運搬船の資産は59艘・357,800円、営業権96,500円であった。運搬船一艘あたりの評価は6,064円で、そのうち日野顕徳は1艘・7,750円の評価で、上位の評価の優秀船を所有していた。ちなみに日野顕徳は、運搬船2艘を所有し、その優秀な運搬船をフルに稼働させ、企業努力で生船業を開始して10年ほどの短期間で海産物売買営業権が8,000円、売上高(算定)20,000円で、富島で最上位の実績を上げていた。これが富島水産株式会社設立に際して自由な活動を主張して最後まで反対した日野顕徳の行動理由であった。
 発起人・出資者は18人、その株総数が9,086株、階層別の内訳は、900株台2人、800株台1人、700株台2人、600株台2人、500株台1人、400株台1人、300株台4人、200株台3人、100株台2人であった。発動機船付帆船は合計59艘で、所有状況は6艘4人、5艘1人、4艘2人、3艘3人、2艘5人、1艘3人であった。発動機船の評価額の合計357,800円、平均は19,878円であった。この内訳は40,000円台1人、30,000円台3人、20,000円台3人、10,000円台6人、5,000円以上10,000円未満4人、5,000円未満1人である。他方、海産物売買営業権評価額の合計96,500円、平均5,361円であった。内訳は8,000円5人、7,000円3人、6,000円1人、5,000円2人、4,000円2人、3,000円2人、2,000円2人、1,000円1人であった。
 現物出資と現金出資の合計が発起人の総株数である。表3はこれを表している。同表によると、現物出資と現金出資の割合は1人当たり505株対50株の10:1と圧倒的に現物出資の割合が高かった。したがって、運転資金に当たる現金出資は44,900円(1株50円)、1人当たり1,250円であった。階層別に持株状況を見ておくと、1,000株台2人、700~1,000株4人、400~700株6人、400株未満6人であった。
表3 発起人の持株一覧表
氏名総株数現物出資・営業権株数現金出資株数
濱口實右衛門800株796株4株
濱口好400株360株40株
濱口仙次郎1,000株980株20株
川西忠太郎400株380株20株
河合寅一644株644株0
宗和春太郎160株120株40株
野口浜蔵300株274株26株
倉本武太郎300株180株120株
倉本常吉500株330株170株
松枝政吉320株290株30株
阪西竹松700株668株32株
三木角一1,000株880株120株
三木助一200株200株0
三木久太郎530株530株0
日野嘉三一910株910株0
日野嘉右衛門800株710株90株
日野顕徳600株470株130株
日野恒太郎420株364株56株
合計9,984株9,086株898株
平均555株505株50株
「昭和拾壱年拾月 株式申込書 富島水産株式会社」より作成

表2、表3の営業権の内容は会社設立前の運搬業者の生魚の買付集荷域と関係している。発起人18人の買付集荷域は、瀬戸内海西部専業a(6)、朝鮮専業b(5)、朝鮮―西日本両業c(4)、九州専業d(2)、北部九州―瀬戸内海西部両業e(1)の5つのタイプに分類され、とくに山口県沿岸を中心とした瀬戸内海西部の買付を行っていた業者が3分の1を占めていた。このことは、富島の取り扱い業者の活動範囲は瀬戸内海のタイ、タコ、ハモの買付を中心に行っていたことと一致する。さらに朝鮮での買付がそれについで多い5業者で、朝鮮と西日本の両域4業者を合わせると半数が朝鮮での買付を行っていたことになる。
 つぎに取締役会の「会議録」などから富島水産株式会社設立時の主な問題(議題)について「昭和拾壱年拾月起会議録富島水産株式会社」から見ておく。
 1936年10月19日の取締役会では最初に「魚類買入投資ノ件」が協議され、事業開始までの貸金などについて「新契約ノ浜ノ掛金ハ会社ノ負担トシテ貸与シ其ノ他ハ従来通リ各自貸付置クコトニ決ス」としている。この他、「会社創立報告」「倉庫建設承認ノ件」「事務所借用改造ノ件」「預金並ニ取引銀行設定ノ件」「現物出資引渡ノ件」「諸帳簿整理ノ件」「社員規定設定ノ件」「処務規定設定ノ」「其他南丈一氏加入希望ノ件」が協議された。
 1937年1月12日では「一各漁場ノ契約貸金ノ件」が協議され、下記のとおり契約金額に対してその3歩の利子を付け、契約金皆済の際に元金と相殺することを決めている。
  社長 本件ハ最モ重大ナ問題デアリマスガ(中略)貸金額ニ対シテハ毎年末利子ノ形式ニ於テ貸金ノ三歩宛返戻シ、後日皆済計算ノ時ハ既ニ支払タル利子ハ元金ト相殺不足額ヲ返済スル様ニサレタイ(後略)
 さらに1937年1月17日では「各支部及買付区域並ニ区域部長ノ選任」の件が協議され、会計部長、営業部長、商事部長、保険部長、総務部長、総務部担当、相談役、各地支場販売係主任の選任及び買付集荷体制が整備された(表4、図1参照)。買付集荷を概観しておくと、支部編成は「内地」を7部、植民地朝鮮を2部に編成した。第1区は京阪神市場に近い淡路島周辺で本社が管轄した。第2,3,5部は瀬戸内海をそれぞれ東から3つに区分し、それぞれに区域部長を置いた。第6,7,8部は九州沿岸域を東部、北部、中西南部に分割区分した。朝鮮海域は南岸と釜山・東北岸の2つに区分された。この支部編成は各業者の従来からの得意先を配慮して配置したものと思われる。たとえば、日野顕徳は大正末年に生船業を開始して以来、山口県熊毛郡沿岸を中心にタイ、ハモ、タコを買付けていた。そのため支部編成に際しては第2部の四坂島漁期終了後、第5部の山口県沿岸を区域部長として集荷担当にあたった。
表4 富島水産会社の買付担当区域の編成
第一部①小豆島 淡路沿岸 近海
区域部長本店営業部直轄トス
第二部②下津井 直島 大浜 今治 弓削島 四坂島 立山 金ヶ崎
区域部長日野吉藏 日野顕徳(四坂島終了後第五部ニ移ル)
第三部③八幡瀬戸より伊予長浜
西部区域 郡中長浜 三机 青島 明神 深浦
区域部長松枝政吉 宗和才吉
東部区域 中島 百合 五五島 大長 高浜
区域部長宗和春太郎
第五部⑤山口県沿岸
区域部長野口浜蔵 日野顕徳 三木巳之助
第六部⑥大分県 宮崎県 沿岸
区域部長佐賀ノ関担当 岡高八
其他区域部長ハ川西忠太郎氏ノ意見ヲ以テ決ス
第七部⑦五島沿岸 平戸 大島 高島 壱岐 呼子
区域部長日野嘉三右衛門 河合寅一 三木助一 田中泰一(平戸担当)
第八部⑧佐世保 熊本 鹿児島沿岸
区域部長倉本常吉 日野嘉三右衛門代理日野嘉三一
朝鮮第一部⑨統営及全羅南道全部
区域部長日野春義 三木常吉
朝鮮第二部⑩釜山及慶北道江原道全部
区域部長九龍浦 三木藤松 日野恒太郎 山口芳蔵
釜山 坂西竹松 河合寅一
厚浦里 宗和與志吉
「会議録 昭和拾壱年拾月」より作成


図1 買付集荷体制図
※「図1買付集荷体制図」では次のコンテンツを用いた。
帝国書院 歴史白地図 5.日本とその周辺白地図
(https://www.teikokushoin.co.jp/teacher/outline_map/history/pdf/history5.pdf)

 
 「永久保存 昭和拾弐年弐月拾壱日 事務規定 富島水産株式会社」は、「第一章 総則」「第二章 事務管掌」「第三章 文書ノ取扱」「第四章 文書及簿冊ノ処理」「第五章 会計用度」「第六章 売買貸借及営繕」「第七章 配船船員及積載物」「第八章 漁業仕込金及貸金」「第九章 任免」「第十章 社員ノ服務」「第十一章 給与」「第十二章 旅費」「第十三章 慶弔」、さらに「社員」「支部」「準社員」「船員」を規定している。そのうち第8章「漁業仕込金及貸金」は契約金貸付の際の連帯保証人、担保物件の確保などの手続きを取り決めている。
 
   第八章 漁業仕込金及貸金又ハ立替金
  第五十五条 漁業仕込金ハ総務ノニ於テ起案シ社長ノ決済ヲ受クベシ
  第五十六条 漁業資金貸付又ハ立替金ニ際シテハ総務部ニ於テ確実ト認ムル連帯保証人又ハ担保物件ヲ徴シ公正証書ヲ作成ノ上貸付クルモノトス但シ総務部ニ於テ其ノ必要ナキト認ムルトキハ此ノ限ニアラズ
  第五十七条 漁業貸付金ハ期限内ニ回収スベシ
  第五十八条 前条ニ依ル回収ニ付テ執行者ニ於テ全責任ヲ帯ビ会社ノ決算期迄ニ回収セザルモノハ其ノ原因ヲ精査シ速ニ回収方法ヲ講ズベシ
  第五十九条 本章ノ各条ハ当該支部長ト協議ノ上施行スルモノトス
 
 1937年2月27日開催の取締役会では「一、船員並ニ社員給料ニ関スル件」「二、本社預金取引ニ関スル件」「三、借入金問題ニ関スル件」「四、燃料取扱ニ関スル件」「五、鉄工所問題ニ関スル件」「二住吉丸修繕ニ関スル件」が協議され、そのうち借入金については下記のとおり決定している。
 「借入金ニ関シテハ本社株主中ヨリ借入ヲ為シ其ノ額ハ最高五万円限度トシ利率ハ可成五歩位トシテ期限ヲ最小限度一ヶ年限度トシ期日ハ総テ社長ニ一任スル事ニ決定(昭和拾弐年弐月以降 取締役会決議 富島水産株式会社」)
 また、1937年9月9日開催の取締役会(「昭和拾弐年弐月以降 取締役会決議 富島水産株式会社」)では、「一、魚類買入並ニ売却ニ関スル件」「二、在来ノ契約整理ニ関スル件」他が協議され、前者については「満場一致売買ニ関シテハ本社名ヲ以テスル事ニ」、後者については「満場一致従来個人トシテ契約ヲ為シタル内有力トナルモノハ此際本社ニ報告ヲ為シ整理スル事ニ」決定された。
 「昭和拾壱年拾月 株主総会決議録」所収の「昭和拾参年 自弐月弐日 至弐月弐拾弐日 開会 第壱回臨時株主総会決議録」中の2月2日開催の第壱回定時株主総会ではつぎの決議が諮られている。
 「一時借入金ノ必要相生ジタル場合ハ金五万円也ヲ利率金百円ニ付日歩弐銭也以内ニテ社長及取締役会ニ一任便宜適当ノ所ニテ借入ヲ為ス事ヲ諮リタリ 満場異議ナク原案通リ決定シタリ」
 引き続き1938年2月8日に開催された第壱回定時株主継続総会では会社の金融問題が下記のとおり協議され、決議されている。
 「(議長)当会社ノ金融上ノ問題ニ関シテハ既ニ各位モ御承知ノ如ク借入金モ相当多額ニ上リ(中略)当会社ノ資本金ニ比シテ契約金ハ比較的超トナレル嫌アリ、依ッテ此際各自取扱タル契約金全部当会社ヘ一時返還ヲナシ信用組合ヨリノ借入金ヲ全部償還シテ然ル後、各自自由ノ立場ニスル事ハ目下不安ヲ一掃スルニハ最善ノ方法カト存ジマス(後略)」
 すなわち、株主総会では業者の借入金は日歩2銭とし、会社経営の現状として資本金に対する契約金の割合が大きい点を指摘し、経営改善のため従来の漁業者・産地仲買人などへの貸付金、給付金を回収することで契約金の一時整理を行うことを決めている。以上からわかるとおり、富島水産株式会社設立当初の最重要問題は従来からの契約・貸付金についてであった。経営を安定させるために、契約を継続しつつ従来の契約貸付金をいかに整理するかにあった10
 最後に富島水産株式会社の漁業自営の問題を見ておきたい。
 「昭和拾壱年拾月起 会議録 富島水産株式会社」には1937年1月14日開催の取締会会議録が収録され、そこには「一 朝鮮鯖巾着網ノ引渡ノ件」他が協議され、決議されている。
  両手廻巾着網ハ漁業許可付ニテ価格金弐万参千円ニテ会社ニ買収スルコト
  但シ、当活組ノ分ハ網代金弐万参千円ノ内壱万弐千円也ハ株式ニ代ヘルコト残額金壱万参千円也ハ現金ニテ買収支払フコト
  二網ハ濱口実右衛門氏ト代金支払方法及株式ニ代ヘル方法等ヲ決定スルコト
  其ノ他一般網以前ノ持網ニ付テハ時価ヲ定メ買収スルコト
  二片手廻ノ分ハ後日懇談(ママ)的に時価相場ヲ定メ買収スルコト
 
 朝鮮での巾着網(漁業許可証付き)の買収を決議している。この漁業自営の開始は漁業経済史的には林兼のように商業資本の漁業資本への進出と同様の動きと見ることができる。しかし前述したとおり富島の業者は大半が漁業者出身であり、しかも上層の業者は富島での地曳網の元網元層であった。したがって、商業資本と漁業資本の境界(商業資本の漁業資本への転換など)は他の大手水産資本のように明確ではない。これは、朝鮮における巾着網漁業が資本制漁業として1930年代に急速に発展するなかで、中小80の運搬資本が経営の多角化、危険分散化の行動として位置づけられよう11