1.栓口とセカシ

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 昭和32年1月9日(1957年)から大日水産株式会社所属の第八号住吉丸に乗っていた。なぜこれだけ詳細に覚えているかというと、この日に長崎県対馬からの上り航海中に玄界灘で遭難しかけたからである。生船には生間の温度管理や酸素管理の為に、側板と船底とに栓口と呼ばれる長方形の穴が多数開けられている。この他にも生間清掃に使った海水が各生間に溜まるため、この海水を大間に集めるための魚艙間の戸立に2ヶ所の5cm×5cm角程の穴があった。これを埋める栓を合の栓(あいのせん)と呼んだ。船は空船時、エンジンを船尾側に搭載しているため、とも(船尾)側が低く、おもて(船首)側が高くなる。合の栓を抜くと各生間に残った海水は船尾側の大間に集まり排水が容易になる。航海中は全ての合の栓を差しておくのだが、生貝(アワビ)を運んでいたこの時は、合の栓を差し忘れていた。生間の海水が移動してしまい、生貝(アワビ)を入れた木箱が片側に片寄り、船がローリングした。カシキとして初めて乗船した船で死ぬかと思った。
 アワビは対馬から神戸中央卸売市場や大阪中央卸売市場本場に運んで来ていた。アワビは生間にそのまま入れると、壁などに強くへばり付いて出荷時になかなか外れないので、竹籠とかセイロ箱(トロ箱)を二つ口合わせにして縄で縛って生間に沈めていた。アワビの大きさにもよるが20~25個を一箱に入れていた。
 栓口には魚が逃げないように真鍮の金属棒を縦横に組んだ「網戸」が内側に、外側には換水を促進するための木製抵抗板、通称「セカシ」が船首側に向けて付けられていた。このセカシを取付ける事によって生間に海水が吹き上げるように流入して来る。また海水を排水するための、逆向きの抵抗板も幾つか付けられていた。これもセカシと呼んでいた。セカシは側板及び船底にも配置されていた。セカシの位置や数は船によっても、生間の大きさによっても異なり、普通は栓口50カ所に対して5カ所程度あった。あまり多く付けると海水が温泉のように湧いてくるので魚が傷んでしまう。適当に入って来る海水と出ていく海水を調整することは長年の経験が必要で難しかった。出ていく海水があまりにも多くなると生間の水面が下がってしまって魚が弱ってしまったりした。セカシは船大工が上架して取付けるが、その位置はその船に長年乗船している船長が場所を指示していた。また、タイや青物のハマチなど積む魚によっても詰める木栓の数は異なり、季節によって海水温度が下がると開栓を少なくしていた。また木栓を半分に切った特殊な木栓もあった。同じ船の木栓の大きさは全て同じで、使わない時は木栓を入れる専用の木箱に整理して収めていた。明石型生船の木栓は大型船では数が多くなるだけで、その大きさは同じであった。夏場の閉栓は生間に裸になって潜っていき、船底の栓口に木栓をあてがって足で踏んで閉め、側板にある栓口は木栓をあてがって「トン」と叩くと閉栓出来た。瀬戸内海を下って買付に行くときは空船で航海するが、大時化になると船体が波に叩かれて「ポン」と木栓が抜けることもあった。仮に50t位の明石型生船で一度に木栓を抜くと、約3分位で海水が満タンになる。

上架整備中の伯銀(昭和60年頃)多数の円形換水口が見られる


伯銀の円形換水口に付けられた「網戸」と「セカシ」