木造船の天敵はフナ虫で、船底の塗料成分が弱くなったり、剥がれたりするのに関わらずドック期間を延ばすと、その間に丸い穴を開けながら船底材の中を食べる。表面は分かりにくく中を食べるので始末に悪い虫である。小さいものは小指くらいで、大きいものは人差し指位あった。夜寝ていると「バリ、バリ、バリ」「ミシ、ミシ、ミシ」と木を食べる音がする。船を上架しないで放置すると水漏れの原因になる。30年位前は船底塗料が今のように良くなかった。生船は年間2回ほど上架して整備した。船底を洗ってからプロパンガスの移動式大型ガスバーナーで炙って付着物を落しつつ乾燥させてから、新しい船底塗料を塗っていた。目立つフナ虫の孔には埋木をしたり、板を張ったりしていた。
大日水産富島造船所では新造船を造っていたが、古い船を購入して改修したり、30t位の5、6隻の生船のキールを伸ばして50t位に規模を大きくしたりもしていた。「作事」すると言っていた。その材料は古社長である日野顕徳氏が宮崎県日向など何処にでも行って購入してきた。香川県大川郡引田町不動冷蔵の第八開洋丸を改造した伯銀は、当初は船室の所に戸立が入っていなかったので波を受けて、船体がしわるのが見て判ったので補強材を入れて作事した。改修された生船は時化の時には「ギー、ギー」としわって音がしていた。エンジンは新品だと高く、安い中古エンジンを購入して、ピストンやシリンダーを分解整備して使っていたので、故障しても直せるようになり、機関員は非常に勉強になった。富島造船所では造船担当とエンジンなどを扱う鉄鋼担当に分かれていた。