第3節 活魚運搬者の生活

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 〈信仰〉
 活魚船の乗組員の信仰対象としては以下の3つがあげられる。それは、住吉様、こんぴら様、えびす様で、いずれも漁業、航海の神様である。これらの神社は町内の至る所で見られるが、特にこんぴら宮は海辺近くに多い。
 船の守り神として欠くことのできぬものに船霊様(船玉様)がある。これはその船を造った頭領が作るもので、普通木製の小さなサイコロ型をしており、ブリッジに祭られている。また、同所に米、塩、12銭も祭られている。船霊様は航海安全を守る重要な物である。
 彼らは一般の漁民同様に信仰心が強く、船霊様を大切に祭り、航海を終えて家に帰ってきた時は、島にある神々に無事航海を終えられたことの感謝をこめてお参りする。また、正月には乗組員全員でお供物をあげている。この供物は、モチ、数の子、コンブ、魚を紐でつったもの、ごちそうなので、これらは持っていったもののうち少しだけ供えて残りは持って帰り、自分の船の船霊様に供えて、その後それを家に持って帰り、船の乗組員全員で会食する。これは、お供えしたものを神様からいただくという意味で行われている。
 次に活漁船の進水式についてであるが、式は縁起をかついで大安の日が選ばれ、船にはのぼりなどがたくさんたてられる。そして、竹の枝に飾り物(短冊)や航海に使う水を汲む物などの小さいものを飾り、それらは式が済んだら海へ流される。そして、神主さんに祝詞を上げてもらい、ていねいな時にはモチがまかれたりする14)
 船上でタブーとしてはつぎのようなものがある。
   ・口笛を船で吹かない(マモノを呼ぶので)
   ・しゃもじを逆に使うな(船が沈没する)
   ・逆手を使うな(同上)
   ・ご飯の上に汁をかけるな(同上)
   ・海の中に金物を落としてはいけない
 他にもいろいろある様だが、活漁船の場合、普通の漁船ほどタブーに関してはきびしく言われていない様である15)
 〈衣生活〉
 ここではどんざ(現地ではぞんざ)が古くから着用されている。どんざは刺し子の着物で、藍の布に白糸で刺しそれから着物に仕立てられる。刺し子を行う目的は、働き着として丈夫で長持ちするためで、活魚船の乗組員の妻や母が冬の間に刺していた。どんざには冬用、夏用の区別はなく年中同じもので、1人2枚位持っていた様で、それとは別にきれいに刺してあるものは上陸用のおしゃれ着として用いられていたものもあった16)
 どんざは、東北地方では百姓の働き着としてのものであったが、淡路では漁師だけのものである。漁師の着ているどんざは、初め出買船の乗組員が着ていたものが広まったものである。
 どんざは明治後期から昭和26、27年(1951年)頃まで着用されていたが、戦後になって姿を消し、ナッパ服と呼ばれる普通の作業着に代わっている。活漁船でダボセンという生簀の栓をしめるとき、昭和30年位までは年中裸で潜ってしめていたが、それ以後は潜水服が用いられている17)
 〈食生活〉
 船内での食事は、以前は魚、米が中心で四つ足の肉は絶対に食べないという人もあったがそれほどきびしくはなかった様である。主食である米は、海水で洗ってから真水で炊くので味が良かったそうである。副食の中心はもちろん魚であったが、それ以外は昔は航海が長かったので日持ちするものが積み込まれていた。高野豆腐や千切り大根等の乾物や、タマネギ、ズイキ、ジャガイモ等である。そして、体を温めるための酒は欠くことのできぬものだった。青い野菜も積んでいたが、以前では航海が長いのでそれが不足し、かっけになる人もいた様である18)。しかし、動力化が進み航海時間が短縮されてくるとその問題は解決された。