第2節 佐賀関

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 佐賀関半島は時代未詳の変成岩類より成る地塁で、豊後水道を隔てて愛媛県の三崎半島(佐田岬半島)と相対する。佐賀関から南の日豊海岸はリアス式海岸であるが、別府湾に面する北岸は断層崖で、平地の乏しい海岸線が直線状に延びている。半島の先端近くで、佐賀関港(上浦)と下浦とでくびれた形となり、トンボロ状の低地に古くから漁業を主とする家並が密集していた。付近の海域は、岩礁が散在し、また太平洋と瀬戸内海をつなぐ位置にあって回遊魚も多く、優れた漁場として知られている。漁業は南岸の下浦港を中心に行なわれている34)(第6図)。

第6図 佐賀関地形図(海上保安庁作製海図より 昭和36年)

 佐賀関へ活魚運搬船が来るようになったのは、昭和17年(1942)以前のことだと言われている。最盛期は昭和30年(1955年)頃で、淡路からは金宝丸、住吉丸、貫栄丸、下津井からは岩福丸、近くの姫島からは蛭子丸などが来ていた。運搬していた魚は、豊後水道でとれるタイが主で大阪の市場へ運ばれた。
 ここでの魚の売り方は、初めの頃は入札であった。入札には一括入札と切り入札がある。前者は魚全体に対し期間を決めて入札し、落札した業者は魚全部を買い取ることができた。後者は魚の量を予め決めてから入札し、いくつかの業者が落札することができた。この2つの方法は、水揚げ量の大小に応じて使い分けられた。佐賀関にも3軒の問屋があったが、ここでは問屋になるには保証金が必要だった。
 佐賀関に最後の活魚運搬船が来たのは、昭和42年(1967年)で船数は3隻だった。ここに活魚運搬船が来なくなってきた原因としては以下のことがあげられる。
 ①人件費の負担が多く、採算がとれない。
 ②陸上輸送の経費が安く、車内への酸素ボンベ導入などで陸送へ代ってきた。
 ③地元のタイの減少。
 ④地方にタイを買いに行っても、地元の漁協が陸送へ切りかえている。
 以下、現在の佐賀関の漁業について述べることにしよう。市場に水揚げされる魚の種類、数量、漁獲高は第7表の通りである。
第7表 佐賀関漁協統計(昭和53年1~12月)
魚種名数量金額
サワラ8,73312,887,591
ブリ38,51551,526,935
タイ44,524116,214,189
小タイ2,9346,623,220
次タイ432804,550
血タイ1,5602,665,280
網タイ1,5942,824,022
アジ94,190194,252,688
ハマチ45,76948,903,450
大口2,8347,607,843
フグ17,74696,420,626
小フグ392391,586
ホゴ109,675128,904,638
タチウオ110,16287,255,600
ボラ2,0041,400,934
ガリ35,77127,301,691
エソ30,3347,429,715
イサキ62,407115,683,056
瀬魚4,4804,490,825
雑魚116,233115,722,375
イカ221,660175,986,420
タコ48,37240,047,321
イセエビ6242,751,200
ウニ12,3408,971,412
馬ウニ1,4538,562,824
ナマコ4,0272,805,108
アワビ26,45184,874,962
流子5,9248,794,935
サザエ(大)17,55616,444,213
サザエ(小)3,0012,740,959
クロメ4,4531,093,570
藻類53,85125,600,749
合計1,130,0011,407,984,487
(備考)出漁隻数100,366隻

 主なものはイカ、タチウオ、アジ、ホゴ、タイ、ハマチ、イサキなどである。ここでの魚の売り方は魚の種類により2つの方法がとられている。それは、「値建」と「入札」である。「値建」はタイ、イカ、スルメなどが対象とされる。これは、戦前では一潮相場といい一潮(15日)毎に値建会が開かれていたが、戦後は10日単位で行なわれるようになった。値建会は、地元の各部落から選出された12名の総代と、佐賀関漁協の販売課長と、仲買人の三者の話し合いで魚の価格を決めるものである。ここの場合は、漁協が大阪魚市場から毎日市況報告を送ってもらい、会の前に課長と総代で話し合いをして一応の値を決めてから値建会を行なっている。また、仲買人の方も会の前に仲買人同志で値を決めてから会に臨んでいる。値建会では、漁獲高の高低、需要の高低を見込んで値がつけられる。正月前には、正月相場を期待して浜値は高くなる。1月~4月は高原相場といい、産地で時化が多い時期で漁獲高が少ないので、浜値は年末より強含みに上がっていく。しかし、4月中旬位から各地で春の大漁で相場が下落し始め、5・6月は盛漁期、産卵期となり浜値は下がっていく。しかし、市場の値の下落の率ほど浜値は下がらず、値建会では仲買人が浜値を下げるように頑張って中々話が決まらないといわれている。
 一方の入札は、フグ、貝類(サザエ、アワビ)など値建以外の魚が対象である。この2つの方法により仲買人の手にわたった魚は、それからの流通経路が魚種により異なる。タイ、アワビなどの高級魚の場合、漁獲量の約1割が近くの大分、別府で消費され、他は京阪神方面へ航空便で送られている。また、近くの保戸島でとれた高級魚も佐賀関を経由して、同じ様に航空便で送られることが多い。フグの場合は、鮮魚として下関へ、加工魚として関東方面へトラック輸送されている。イカは鮮魚として京阪神、四国方面へ送られるが、最近では加工技術を学ぶために対馬のイカ加工の視察が行なわれた。サワラなどの他の魚については県内消費がほとんどである35)
 以下、産地業者としての活魚運搬船について述べておこう。現在まで活動を続けているものとしては次の船があげられる。佐賀関の「妙見丸」、蒲江の「大正丸」、「盛漁丸」、姫島の「水産丸」、「蛭子丸」などである。これらの船はいずれも以前は天然漁の運搬を行なっていたが、現在では養殖魚の運搬を主に行なっている36)