現在の北淡町の活魚運搬は、本文で述べた如く、今や養殖魚の運搬が主として行なわれ、天然魚の運搬は大日水産を除いては行なわれていないのが実情である。
北淡町の活魚運搬は、関西人の嗜好を満足させるものとして発達してきたのだが、陸上輸送が活発に行なわれる様になった現在、伝統産業としての活魚運搬も車にとってかわられている。こうした輸送手段の変化に加えて、魚の産地の方でも天然魚が減少してきており、船による活魚運搬は廃止せざるおえなくなったのである。
本論文でとりあげた出買地の漁村でも、こうした諸事情により活魚運搬船が来なくなったことで、魚の輸送形態の変化が生じている。本論文で「保戸島の漁民生活」を補論としてとりあげたのは、最初論文を構成する際に、淡路との船の交流により、漁民の生活においても何か結びつきが見られるのではないかと考え、調査をすすめたのであるが、結果としては保戸島においては、淡路からの影響は全くみられなかったのである。
本論文を書くにあたっては、関西大学河野道博教授、大分大学中野雅博助教授、大日水産の日野逸夫氏、保戸島海徳寺の鈴木研治氏はじめ多くの方々の御指導、御協力を得ることができた。この場を借りて感謝の辞を表わしたいと思う。