当館資料の概要

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 明石市立文化博物館が所蔵する船大工道具資料は、主に2人からの寄贈資料が中心となっている。1人は、林崎の藤原輝幸氏(藤原造船所)で、平成3年ごろに寄贈された資料である。藤原造船所は『明石商工年鑑』から昭和60年代までは商売をしていた様子が伺える。また、明石市立文化博物館のロビーに展示している“ケンサキミヨシ”と呼ばれる木造船は、平成2年に藤原輝幸氏に再現して建造してもらった船で、船大工の仕事を道具とともに伝える重要なものとなっている。もう1人は、港町の葛西忠雄氏(葛西造船所)で、平成6~8年にかけて寄贈されている。葛西氏の寄贈資料の一部には、収集時の聞き取り記録が残っており、道具の名称や使用方法が分かる資料がある。

明石市立文化博物館ロビーのケンサキミヨシ

 ちなみに葛西氏からの聞き取りメモには、明石で遅くまで船を製造していた造船所として、西二見の島谷芳春氏(大角造船所)の名前が記されている。島谷氏は『兵庫県民俗調査報告11兵庫県の諸職:兵庫県諸職関係民俗文化財調査』に調査報告があり、昭和59年に進水されたものが最後と記述されている。葛西氏のメモと合わせて推測すると、葛西氏の船大工資料は昭和59年より前のものではないかと思われる。
 船大工道具ではないが、明石市立文化博物館の常設展示室には二見町の橘栄佑氏(橘造船所)が製作した、木造船模型が2隻展示されている。橘氏については実際の木造船は昭和58年に最後の一隻を進水したと記録がある。
 また、『瀬戸内の漁船・廻船と船大工調査(第2年次)』(瀬戸内海歴史民俗資料館)に、明石の漁船についての記述がある。ここでは“ケンザキミヨシ”の名で記載され、昭和62年ごろにはFRP(強化プラスチック)船の普及によって、木造船が建造されなくなったと記載されている。瀬戸内海歴史民俗資料館がこの時収集した“ケンザキミヨシ”の中に藤原造船所のものが2隻あり昭和33年、34年に進水したものである。

常設展示室に展示してある木造船ハイカラミヨシの模型