4.生間の木栓構造と換水機能

15 ~ 21

 次に第三常盛丸の副資材の中で注目されるのが、魚を生かしたまま運ぶための技術の一つである「換水口=栓口」に関わる資材である。在庫表にはマキノセン92枚119,600円、銅板栓口86枚分32,000円、銅鋲栓口86枚分6,000円、銅線栓口86枚分24,520円、生間ノセン(合の栓)6本900円、メドサシ86枚8,600円等が記載されている。

 ここで明石型生船の生間としての機能をはたす上で重要な栓口と木栓について考えて見たい。

 マキノセン(槇栓)は船底部(カジキ)に開けられた長方形の栓口より船外の海水を取り入れ、上棚部の栓口より海水を連続的に排水循環することで生間内の酸素補給と温度管理を行うもので、マキノセンを栓口に差し込むことによって海水の流入量を調整している。一隻に使われている木栓の大きさは全て同じであるが、今までに見たものの中には船の大きさによって多少違いがあるようである。大型の生船には大きなものが使われている。栓口の数については船によって異なっている。この第三常盛丸には86箇所の栓口が設けられていたが、マキノセン92枚となっており、6枚の予備が積まれていたことになる。木栓は栓口から抜いたら生間横のデッキに積上げて置いておき、後に整理して栓箱に入れた生船写真帳179頁138。通常は左舷側、右舷側の栓箱に整理され入れているが、時化のときは流されないように機関場の後部に置いていた。生船写真帳152頁009、167頁077の栓箱、栓箱はりんご箱をひとまわり大きくした形状をしており、厚さ一寸程度の杉板で作られ、両側に把手が付いているが蓋板はない。栓箱は船の大きさにあわせて船大工が作っていた。

 栓口の数や場所は船長の経験知によって決まるとよく言われるが、船大工からの聞き取りによると基本的な場所は船大工により熟知されていた。栓口を開けるのはほぼ船が完成した状態で、厚さ1寸位の杉板をカタイタとして自作の活間栓穴型を作成し、栓口の予定場所に洋釘で仮止めし目印として、ボートギリ(後に電動ドリル)で切り口にする穴を開けた後、そこから挽廻鋸を使って廻し挽きして開口部を作り出す。開口部の木口は柄の長い平鑿で突いて平坦に仕上げる。なお栓口は船内側に少し開いた台形(船外に向かって少し狭い)をしており、木栓が下面に向かって台形であるのと合っている。また板材に現れる節については長年使っていると節抜けして水漏れの原因になるため、栓口にすることにより節を取除いた(節の周りは木の密度がしっかりしているとから、栓口として丈夫である)。引田町歴史民俗資料館『引田の船大工と海運業~20世紀を振り返って(2)~』2002の巻頭図版「高橋渉氏所蔵船大工道具」には大きさが異なる木栓とともに、活間栓穴型が写っている。また、瀬戸内海歴史民俗資料館『瀬戸内海の船図及び船大工用具-重要有形民俗文化財報告書-』1994の51頁には生(活)間穴型の使用略図が、218頁Ⅱ1-199に香川県香川郡直島町本浦で収集された活間栓穴型の実測図がある。

 木栓の製作は槇の柾目板を木口切りにし、複数の木栓素材に切り分けた後、木栓の全面を鉋がけする。先端部の長辺・短辺は更に丁寧に鉋がけを行って約5度の木栓差し口部を作り出している。木栓頂部は四面の角が丸く鉋がけされており、角が緩やかな曲面になっている。船大工からの聞取りからは「木栓は昔から槇と決まっていた」ので槇以外の樹種では作ったことはないとのことであった。それほど槇の木は水を吸うと、膨れ、抜けにくく、木栓は軽く、加工しやすく材質的に優れたものであった。出来上がった木栓は活間栓穴型にあてがって微調整した「いっぺんによ~け(たくさん)こさえた。木栓を作るのはそれほど難しいものではなかった」。

 淡路市岩屋の東根造船所に残されていた木栓について観察すると、(11-2)は槙の柾目板から作り出された重量303gの木栓で、上面で縦7.0cm×横12.8cm、下面で縦5.7cm×横11.4cm、高さ9.0cmで下面に向かって台形を呈している(11-3)。上面には縦2.8cm×横9.3cmの平坦面があり(11-1)、約30度の斜面をもって木栓挿し口面につながっている。上面四隅には明瞭な稜線があり、横から見ると上面の平らな屋根型に見える。さらにそれぞれの稜線は丁寧に鉋がけされている。挿し口面の下端より1.5cmには鉛筆によって直線が四面に一周引かれている(11-3)。ここまでが栓口に差込まれるものと考えられ栓口が縦5.9cm×横11.6cmであったことが解る。この木栓は使用による摩滅がないことから未使用品と考えられる。(11-5)は重量332gの木栓で、上面で縦7.9cm×横14.2cm、下面で縦6.8cm×横13.0cm、高さ8.9cmで下面に向かって隅丸台形を呈しているが、長年使い込まれて加工面が丸くなり全体に摩滅が著しい(11-7)。挿し口面の下端より1.6cmには錆びだれが見られ(11-6)、この部分が栓口に差込まれていた。栓口は縦7.1cm×横13.3cmであったことが解る。下面は栓口に張られた銅板からの銅成分で緑青色に変色している(11-8)。

 次に銅板を栓口にあてがって船外、船内ともに銅鋲によってとめる(銅板巻)。この銅板巻が最も重要な作業で、栓口に木栓をはめた時に木栓が銅板の上をすべり込んで隙間なく閉めることが出来る。メド(目止)は栓口外側の手前に約5mmの銅線(銅棒)を縦2本、横2本を井桁に組み取付けたもので魚が逃げないように工夫していた(サシメゾ)。銅棒は銅板の上から木口に穴を開け、片側に差し込んだ後、送り戻し(やり戻し)てもう一方に嵌め込まれていた。100円×86箇所=8,600円であった。栓口の数は船の大きさや、生間の数、積込む活魚の種類によっても異なるが、20tクラスで90箇所、50tクラスで150箇所程度あった。

 メド(目止)は厚さ2寸2分(約6.09cm)上棚の場合、厚みの半分より外側に設けられ、栓口に差し込まれた木栓がメドにあたらないように設置されていた。これは長期間木栓を使い込むと、木栓そのものが痩せてきて(すり減って)、栓口に深く刺さるようになりメドにあたり水圧による水漏れの原因になるからである。メンテナンスのため上架された生船の栓口を船外から観察するとメドが外側寄りに付いており、外板と同色のペンキで塗装されていた。メドには海藻などがよく絡んで詰まるので上架した時には、丁寧に取除いていた。なお栓口に差し込まれた木栓を生間内から見ると、木栓頭部が生間内に多数突起(飛び出す)しているのが見ることができる。生船写真帳180頁143

11-1 木栓上面 丁寧に加工された平坦面と稜線

11-1 木栓上面 丁寧に加工された平坦面と稜線

11-2 木栓長辺側面 槙の柾目がよく見える

11-2 木栓長辺側面 槙の柾目がよく見える

11-3 木栓短辺側面 鉛筆書きの直線が薄く見える

11-3 木栓短辺側面 鉛筆書きの直線が薄く見える

11-4 木栓下面 細かな年輪が見える

11-4 木栓下面 細かな年輪が見える

11-5 木栓上面 加工面が使用により摩滅

11-5 木栓上面 加工面が使用により摩滅

11-6 木栓長辺側面 錆びだれが直線的に固着

11-6 木栓長辺側面 錆びだれが直線的に固着

11-7 木栓短辺側面 摩滅により隅丸台形

11-7 木栓短辺側面 摩滅により隅丸台形

11-8 木栓下面 銅板からの銅成分で緑青色に変色

11-8 木栓下面 銅板からの銅成分で緑青色に変色

 松居暢夫他『養魚講座第4巻 ハマチ・カンパチ』1969年には「…船底と舷側に孔のある型の活魚船では、一般に船底の孔には舷側の孔よりも水圧が多くかかり、この水圧差が水交流を起こすもとになる。…布片を棒の先につけて、各換水孔に近付けると、布の動きによって水の動きや出入りがわかる。水が入る孔と出る孔とほぼ定まっている。」と換水交換による具体的な海水の動きが観察されている。また、谷川英一『水産物の鮮度保持・管理』1970年には「換水によって酸素補給ができるのは、水上輸送の場合だけである。酸素が減り、炭酸ガスが増し、吐出食物、排泄物などの汚濁した魚槽内の水と、新鮮な酸素に富む魚槽外の水との間に、水の交流が行われる。」と換水により何が起こるのかを具体的に述べられている。

 関係者の聞取りでは、栓口への木栓の着脱には昔は乗組員が醤油を飲んで魚艙に跳び込んで作業をしていたことをよく聞いた「真冬でも躊躇なく裸になって、ぱっと魚艙に入る。魚艙から上がった乗組員は寒さで震えていて見ていて可哀そうやった。大阪中央卸売市場には風呂があった(船大工)」。昭和48年(1973年)頃から漁業用ウェットスーツが普及し始めたが、冬場に魚艙に入ることはやはり過酷な作業であった。

 合の栓は生間内の海水の温度管理や酸素管理のための栓口と異なり、シキ(キール)に接して各魚艙を仕切っている戸立の下部に、中仕切り(中ベキリ)を挟んで左右1ヵ所に開けられた約8cm×8cm角程の穴で、「合の栓(あいのせん)」と呼ばれていた。栓口は戸立に方形の穴を開けているのではなく、戸立の柾目面(木端面)からコ字型に切込みを入れ、キール上面をそのまま穴の一辺(下面)にしている(12-1)。杉材で作られた合の栓は縦9.5cm×横7cm、長さ21cmで先端に向かってわずかに楔形になっている。この木栓は全て船首側に向かって打込まれ(12-4)、栓口に木栓をあてがって木槌で打込まれる(12-3)。木栓の木口を観察すると木口上部の同じ場所が摩滅しており、同じ場所を木槌で打込んでいることが解る。取外された合の栓は生間に降りるために戸立に取付けられた、木製の踏み段の決められた場所(12-2)に置かれ次に使用される(戸髙水産 戸髙源之助)。この生間ノセン6本がこの栓にあたると考えられ、第三常盛丸に各戸立てに2箇所×戸立3枚の4間の生間があったことと合っている。この合の栓の機能としては活魚の運搬後、各魚艙は活魚の排泄物や剥がれた鱗などで生間内が汚れるため清掃する必要があり、この汚れた海水を船尾側の大間に集め清掃しポンプで排水するものである。活魚を運搬している時は必ず閉栓していなければならない。この合の栓について知られていないのは、船底近くにあり生間の海水を全て排水しないと見ることは出来ないためで、基本的に活魚運搬船には必要なものとして付属していたものである。なお閉栓を差し忘れたため生間の海水が移動し、積荷のアワビを入れていた木箱が片側に片寄り事故になりかけた事例がある「生船写真帖133頁」。

12-1 合の栓口

12-1 合の栓口

12-2 合の栓の置き場所

12-2 合の栓の置き場所

12-3 木槌で合の栓の打込み

12-3 木槌で合の栓の打込み

12-4 合の栓は全て船首に向って打込む

12-4 合の栓は全て船首に向って打込む

 神戸市垂水から明石市東二見の明石海峡沿いには、水押の先端が剣のように尖った「ケンサキミヨシ」と呼ばれる、江戸時代から昭和30年代にかけて活躍した特徴的な木造漁船がある。特に明石市の明石浦や林崎のほとんどの漁船はこの型であった。一本釣りやイカナゴ込瀬漁、タコつぼ漁の漁船として使われたほか、大正7~8年(1919年)頃まで出買船(2t、3人乗り、3丁櫓)として遠く岡山県下津井まで魚を買いに出かけ、明石から大阪の安治川をさかのぼって木津川に面した大阪雑喉場市場まで運ばれていた。明石市立文化博物館のロビーには、明石市林崎の藤原造船所船大工、藤原輝幸氏によって復元されたケンサキミヨシ(全長約9m、幅約2m)が展示されており、カジキのイケマ部分に右舷5カ所、左舷5カ所の栓口が確認できる。栓口には銅鋲よって銅板が留められ、栓口外側には銅棒の先端を尖らせ鎹形に折り曲げたメドが井形に打込まれ、内側から木栓が詰められている。ケンサキミヨシに代わって昭和30年代後半から昭和50年代に作られた洋風舳漁船「ハイカラミヨシ」にもイケマ部分に複数の栓口がある。おそらく明石型生船における生間の換水機能に最も重要な栓口は、このような近世からあったイケフネ構造をもった木造漁船の技術を、活魚の大量輸送のために採用し発展させていったものと考えられる。

 『大洋漁業80年史』1960年の巻頭には、中部謙吉による「第一新生丸(初代)」の絵画が掲載されている。明治38年(1905年)に中部幾次郎によって建造された石油発動機付鮮魚運搬船である(巻頭図版1明石小杉造船所製造)。絵画を見るとブリッジ後方に石油発動機があり、上棚部分に多数の栓口が見える。通常この栓口は活魚運搬時には換水され吃水線以下に隠れている。空船の場合にも一部の栓口は見えているが、絵のように多数の栓口が見えるようなことはない。栓口の並びは模式的に描かれ、その存在を誇張している。明治42年(1909年)の農林省制定の標準型に採用された「明石型」と呼ばれる以前に、ほぼ完成された鮮魚運搬船の姿を知る上で注目される資料である。

 巻頭図版1は昭和10年頃(1935年頃)に撮影された兵庫県明石市新浜海岸の航空写真で遠くに明石城の巽櫓・坤櫓が見える。材木町にある岩屋神社から参道を南に進むと小杉造船所のある新浜海岸に出る。海岸では活魚運搬船が露天(浜造り)で造られており、(写真13)を見るとブリッジ前にある活魚槽を仕切る戸立や船尾艫廻りなど特徴的な明石型生船が造られていることが解る。明石で生船が造られていたことが解る貴重な資料である。

 また『金指造船所六十年史』1969年20頁には「丈吉(金指丈吉)は林兼の依頼により、次のような構造の船を考え出した。船体の船首と船尾を西洋型、同中をフレームなしの和船型に改良したもので明石型と呼ばれ、農林省制定の標準型に採用された。また生簀部分は金指式生簀装置として好評であった。」 74頁の思い出の一二 上島松五郎(株式会社金指造船所監査役)先代と大洋漁業には「先代社長は元大洋漁業の社長中部幾次郎氏が明石より大阪に出て魚を運搬し、船の修理にきた際に、朝鮮からハモを運搬すると非常に儲かるけれど、運搬が大変で普通の船ではできないから何かよい考えはないかと、相談をうけたそうです。それで色々と相談の結果、船首と船尾を西洋型にして、中央を日本型のフレームなしの船を造り生簀にして、センを二百ほど造りました。その船でハモを運搬したところ、非常に成績がよいので金指式生簀船といって新案特許取得、日本最初の発動機船(新生丸)建造の際エンジン据え付けを当社で実施。369頁に明治42年(1909年)3月、林兼商店発注の(第二新生丸)50トン建造、明石型と呼ばれ農林省制定の標準型に採用された。金指式生簀装置を設置」とあり明石型生船の開発に中部幾次郎と金指丈吉が深く関わっていたことが解る。

写真13 明石・小杉造船所で浜造りしている明石型生船が並んでいる

写真13 明石・小杉造船所で浜造りしている明石型生船が並んでいる