5.空気圧駆動式開閉弁と換水機能

21 ~ 44

 導入経過については大日水産株式会社社長日野賀生氏から聞取りをしているので報告する。「昭和40年5月(1965年)に第一号住吉丸HG2-1727(総トン数49.98t、長さ25.84m、幅4.49m、深さ2.00m)乗船していました。当時、最大の生船は大日水産株式会社の自社船で第六号住吉丸HG2-1861(総トン数70.61t、長さ27.31m、幅4.64m、深さ2.01m)で、次が乗船していた第一号住吉丸でした。昭和30年代(1955年)前半までは、総トン数が20~30t位、生間の深さ1.5m~1.65mでしたが、後半より船体が大型化されてきました。第一号住吉丸が長崎県五島列島・熊本県天草地域から、活魚(タコ)を積込んで大阪中央卸売市場に入港する時、安治川河口の大阪湾に入ったところあたりから汽水になります。船長は生間内の海水を柄杓ですくって舐めながら、淡水の混ざり具合を確認し、タコの入っている生間の栓口に木栓を差し込むように指示します。素早くしないとタコ棚(タコ巣・ソデ巣)からタコが落ちてきて栓口に詰まるので、急いで生間内に入って足裏で栓口を押えて素早く木栓を挿します(第2図)。船体が大きくなって、生間の水深が深く、背が立たなくなると足裏で栓口を押さえられなくなり、閉栓に時間が掛かかり、スムーズに仕事が出来なくなってきました。また昭和45年(1970年)代になると瀬戸内海沿岸部の海水が汚れ、場所によっては汚れた海水が生間に流入し運搬している活魚が死ぬ場合が起こってきたので、一瞬にして栓口を閉栓する必要がありました。

第2図 タコ積込み時のタコ巣・ソデ巣配置略図

第2図 タコ積込み時のタコ巣・ソデ巣配置略図

 昭和41年(1966年)はハマチの稚魚であるモジャコが不漁で、昭和41年7月8日に静岡県沼津市江浦でモジャコを買付しました。同年に三重県にも行った時に、鰹漁船の魚艙に装備されていた餌の生鰯を漁場まで生きたまま運ぶ空気圧駆動式開閉弁を初めて知りました(帰りは開閉弁を閉塞し漁獲された鰹を運搬)。これなら生船に取付けることが出来て、真冬に生間に潜るような過酷な労働環境が改善出来るのではないかと思い、製作していた三重県北牟婁郡海山町のモリヨシ株式会社に発注したのが最初です。昭和49年(1974年)2月に自社船の伯銀(写真14)に初めて取り付け、その後幾つかの改良をして自社船以外の受注船にも装備しました。(日野賀生氏)」「空気圧駆動式開閉弁の開口部(シーガル巣)は円形をしていたので、その取付けには船底部(カジキ)や上棚に円形の穴を開けなければならなかった。初めは長方形の栓口を開けるのと同様に型板で円を描きボードギリで穴を開け、挽廻鋸を使って廻し挽きして円形開口部を作り出していたが大変手間がかかったので、後には会社で電動ノコを買ってもらって穴を開けていた。(船大工大崎進氏)」

写真14 伯銀(富島造船所) 空気圧駆動式開閉弁の円形開口部に潮を出す「ヒカセ」が見える

写真14 伯銀(富島造船所) 空気圧駆動式開閉弁の円形開口部に潮を出す「ヒカセ」が見える

 今回の報告にあたり、有限会社戸髙水産の戸髙源之助社長が平成15年(2003年)頃に解体された第八盛漁丸の空気圧駆動式開閉弁1セットを保管されており、それを借用し写真記録と聞き取りを戸髙源之助氏、補足内容は日野賀生氏に行った。

 空気圧駆動式開閉弁は船内側に取付けられる駆動部と船外につながる生間水栓筒(18-5)に分けられる。生間水栓筒の取付けは外板の弁甲材を挟んで、船外側から内周面に雌ネジが成形された凹型510gを、船内側に取付けられた外面に雄ネジが成形された凸型2.002gに締付けて装着する(18-7)。船外側の凹型は直径22cm、幅3.2cmのドーナツ型の円盤状になっており、その円盤部には長さ2.0cm、幅0.7cmの90度間隔で4個所の長方形の抉りがあり、締付けの際に工具で押えて接合を強固にした(18-7 右)。凸型と凹型の接合にはネジ部にマキハダを巻付けて締付け水漏れを防止している。また船内側凸型の弁甲材に接触する部分には、黒色のゴムパッキンが貼られており、密着を強化し水漏れを防止している。生間水栓筒と駆動部の接合は駆動部枠型より4本のステンレスネジで接合されるが、直径2.9cmのゴムパッキンによってそのネジ端が塞がれている(18-8)。円形の生間水栓筒金具は初めステンレス製で重く価格も高かったが、錆びずに軽く(2.512g)価格も安く出来る硬質樹脂製(リグナイト社製)に変えた。取付けられた生間水柱筒は常に海水と接触する部分は青銅色に変色し表面に少しザラツキがあるが、船内側の凸型の生間水柱筒は透明感のある光沢がある。

 駆動部(16-4)は、駆動部枠型、開閉弁、ピストンから構成される。駆動部枠型は縦17.8cm、横30.0cmの隅丸長方形で四面が立ち上がった浅い箱型をしている。枠型の底には開閉弁を受けるU字型の抉り(16-7)がある。開閉弁を開けると船外につながる生間水栓筒があり、上からのぞくと縦方向に凸型に一体成形された2本の棒状製品(16-6)が見える。これは円筒部内に2.8cm間隔で底辺1.2cm、高さ1.8cm、長さ12cmのカマボコ型をしており、開閉弁との間には1.3cmの隙間がある。これはハマチなどの成魚を運搬する場合の魚が逃げないようにする目止と考えるよりも、水圧により硬質プラスチックで作られた生間水栓筒が変形しないように横梁の役目を果たしている。開閉弁は縦15.1cm、横23.5cm、重さ1.851gのラケット形をしており、表面の上端と下端には開閉弁を横方向にすべらせる幅1.9cm、長さ7.8cmのスライド面(18-1)が作られている。この部分の表面には横方向の擦痕(18-2)がはしり、摩滅による銀色の光沢がある。このスライド面があることによってスムーズに開閉ができる。ラケットの握り端には、六角ボルト1本でピストンとつながる幅2.4cm、長さ10.7cm、厚さ0.95cmの長方形の金具が付いている。開閉弁の裏面(18-3)は厚さ5mmの黒いゴムパッキンが貼られており、パッキン表面には開閉によって生じた横方向の擦痕(18-4)が観察できる。実際に手動で開閉しても水圧がかかっていないので非常にスムーズに開閉できることが解る。船底部に取付けられた開閉弁表面は赤色と白色のペンキで塗り分けられており、潮受けがあるものと、潮受けがないものとが一目で分るようになっていた。潮受けがあるものは海水を取込み、ないものは海水が抜けていく構造になっていた。ピストン(16-8)は真鍮製で駆動部枠型の外に2ヵ所のボルトによって取付けられ、圧縮空気が大ピストン(入り)に送られることにより開閉弁に連動した金属板を動かして弁を開く。大ピストンの圧縮空気を小ピストン(出)で抜いて弁は閉まる構造になっていた。圧縮空気は配管を通ってエンジンルームにある圧縮ポンプにもどり、生間内には放出されない。船の構造を支える下マツラと立マツラの幅狭い空間に、開閉弁と配管が重複するため圧縮ポンプは左右どちらにも取付けることが出来る。

 潮受け板の製作は白太部分を取り除いた板目の檜材を木枠の上に斜めにかけて、幅33~34cm、厚さ6.2cmに赤いチョークでおおよその潮受け板のラインを引き(20-7)、左足で板材を踏みつけてチェーンソーで切抜きを行う(20-5、20-6)。途中、板材を横に踏みつけなおし、潮を受ける半円形部を一部作り出して切り離す(20-8)。次に作業机に裏返して万力クランプで挟み込んで、先ほど一部加工した半円形部にさらにチェーンソーで内側に傾斜した内刳り加工を行い、大まかな形状が整う。さらに全体を電動サンダーで研磨して仕上げを行う。完成した潮受け板は長さ38.5cm、幅27.3cm、厚さ6.2cmの雨垂れ形に加工されたもので、空気圧駆動式開閉弁の開口部の形状に合わせて裏面が半円形に浅く抉り込んである(19-2)。半円形部は垂直ではなく約18度で内側に傾斜(内刳り)している(19-5)。海水を強制的に取込むため、船首側に分厚く船尾側に薄くなり先端は尖っている(19-6)。潮を受ける方を「ツカセ」、潮を出す方を「ヒカセ」と呼んでおり、昔からこの形で船体に付ける場所が違っても同じ形のものである。表面は非常に丁寧に作られ、全体が磨き上げられている。船体にはドリルによって開けられた円形部に沿って5ヵ所、先端部に向かって3ヵ所、上下に2ヵ所の計10ヵ所の直径1.8cm先穴に3寸5分の皆折釘、まわりには丸釘によって打付けられ、釘穴は白セメントやパテによって埋められる。裏側には船体に密着させるために、生間水栓筒の円盤部の僅かな突起に対応して幅5cm、深さ3mmの削り込みがされている(19-4)。この潮受け板は檜材から作り出されているが樹種は選ばない。約1時間で、この形に仕上げることが出来る。船体に取付けられると外板と同じペンキで塗装され、喫水線の下になり上架しないと一部のものしか見えない。実際に釘が打たれた潮受け板の資料見本(20-2)は長さ33.5cm、幅24cm、厚さ6cmの雨垂れ形に同一材から連続的に加工されたものである(20-1)。円形部に沿って4ヵ所、その上に2ヵ所の計6ヵ所に、直径1.8cmの先穴を開け3寸5分の亜鉛掛け皆折釘を打ち込み(頭部の方向は不統一)、厚みが薄くなる周辺部や先端部には長さ10cmの亜鉛掛け洋釘4本を直接打ち込んでいる。潮受け板がハンドメード作られるため厳格な規格や、釘の配列が決まっていない。当然型板などはない。

 「(有)戸髙水産の第拾壱盛漁丸には、キールに近い船底部に右舷17枚、左舷17枚の計34枚の潮受け板が付けられていたが、棚板には付けていない。第拾壱盛漁丸の建造中の昭和55年(1980年)当時は、大分県佐伯市蒲江と兵庫県明石の間を週2回ほど定期航海していたので、帰りに大日水産富島造船所に寄って艤装工事を付ききりで見に行っていた。潮受け板は、活魚を運搬するために非常に重要なものであるため、その付ける個所については直接指示していた。船の行き足(速力)が付くと潮受け板の抵抗で海水を船底から押込み、生間内に海水が吹き上げるような流れが生まれると生間の水位急激が高くなり、船外との水位差で棚板側の換水穴から海水が抜けていき生間の中に水の流れができる。基本的に船底から海水を引込み、棚板側から海水を排出している。生間の水位を上げるのは少しでも多くの魚を積むために、酸素供給と温度管理を行うためでもある。潮受け板を棚板側に多く付けると海水の排出量が多くなり生間の水位が下がる。つまり船首が浮き上がる。時化の時や、流れ物(流木)などで船体が叩かれ潮受け板が失われると船底からの海水の吹き上がりがなくなるので、潮受け板が無くなったことが分かるので、新しく潮受け板を作る(戸髙水産戸髙源之助氏)。」大日水産株式会社に残された昭和54年3月付の第拾壱盛漁丸見積書には、潮切板一式として316,000円が計上されており一枚約9,000円程度であった。

 シーガル巣金網(17-1)は、鋳造製金物でH型をした2枚の外枠にステンレス金網を挟みこむものである。外枠は断面台形をしており、鋳造された際にできたバリ(17-5)を下面に残している。駆動部に装着される下枠には、駆動部の外枠に入れ込む幅3.4cm、長さ1.4cm、厚さ0.45cmの長方形の突起(17-4)があり、その反対側にはシーガル巣金網が駆動部に装着される際にかみ合うΩ(オーム)形の突起(17-3)が一体成型されている。実際の装着はシーガル巣金網を足で踏みつけることで、この突起が駆動部型枠に六角ボルトで取り付けてある長さ1.6cm、直径2.3cmの黒いゴム(16-4)に押し付けられて結合する。その後、さらにこのボルトを締付けて結合を強固にする。Ω形突起の上には、隅丸長方形の幅6.6cm、長さ3.5cm、厚さ0.6cmの庇状突起が一体成形されてあり結合部を保護している。取り外す場合はこの庇状突起を手でめくりあげるように取り外す。3mm×3mmのステンレス金網は、この下枠と上枠の間に挟み込まれ、8本の銅製ネジによって締付けられていた。現在は全てのネジは残っていないが三隅は針金を捩じって取付けられている。全体に海水によって腐食し緑青色になっている。全重量1.473g。金網の目は運ぶ魚の大きさによって網の目が粗いもの取り換える。例えばモジャコ(ハマチの稚魚)などの小型魚を運ぶ場合は、細かい網目の金網が開閉弁の上に挟み込まれる(モジャコ運搬時は生間の中には藻などは入れると排水口に吸われて弁口をふさいでしまうので何も入れない)。ステンレス金網の間には、ステンレスの帯板を十字型や、三字型(15-3)に挟み込んで潮受けによって海水が勢いよく吹き上がるのを防ぐために水流を押え付けているものがある。ブリやハマチなどを積む時はステンレス金網を使うだけでよいが、タイなどの鱗のある魚は水流が強いと魚のためによくないためで、その都度にステンレスの帯板を挟んだ金網を変える。横三枚、縦一枚を挟み込むと生間の海水の吹き上がりなくなり、タイは静かにゆったり泳ぐ。十字型はシマアジを積む時に使用する。このような方法は、長方形の栓口を槙の木栓で開閉する当時の活魚運搬船においても、長方形の木栓を半分の大きさに切ったり、木栓内部をコ字形に刳り抜いて生間に積む魚の種類によって栓口からの潮の吹き上がりを調整する工夫をしていた。木栓と空気圧駆動式開閉弁の違いがあるが、伝統的な技術が継承されている。

 開閉弁の上面にある六角ボルトは空船時(生間を使わない)に、水圧によって開閉弁から噴き出す海水の侵入を止めるもので、手製のT字型六角プラグ用ハンドル(15-2)でそれぞれの開閉弁を締付ける。六角プラグや合いの栓を叩き占める木槌(15-2)などは、左舷通路入口端の棚に丸穴を開けて持ち手を穴に差し込んで整理されていた(15-1)。ボルトは最大幅3.7cm、長さ15.5cm、厚さ1.8cm、重さ365gの棒状金具中央にあり、その両端は駆動部にあるF型の突起に組合い、強固に閉塞ができる工夫がされている(16-3)。なお生間を使用する時は、このボルトを人力によって緩める必要があり、シーガル巣金網を取付けるにはこの棒状金具を外して金網を挟み込む。取り外された棒状金具は生間に潜って取付ける際に手探りで分かるように開閉弁の下の隙間に差込まれる。それぞれの開閉弁には圧縮空気を出し入れする2本の銅管が配管されており、U字型金具で固定されている。各生間内には多数の空気圧駆動式開閉弁が配置されており、その間を縫って配管が整理され、戸立の上で纏められ、ブリッジの下にあるエンジンルームの圧縮空気を送るコンプレッサーに繋がっている。開閉弁の操作はブリッジにある操作パネル(15-4)を船長が操作して行う。操作パネルには船首から取舵1番艙~6番、面舵1番艙~6番の番号が割り当てられ、各生間ごとに開閉弁が作動出来るようになっている。

 最初の取付けは製造元のモリヨシ株式会社から指導を受けたが、大日水産株式会社富島造船所では鉄工部が取付けていた。開閉弁は駆動部、生間水栓筒、シーガル巣金網が木箱にセットされ造船所に送られてきた(16-1)。開閉弁の確認はエンジンを動かして圧縮空気を送らないと分からないので進水してから試験していた。ブリッジにある操作パネルのスイッチを入れ、100ヵ所開閉弁を一度に開閉すると数秒間で開かれるので「カタ…カタ…カタ…カタ…」連続音がして約30秒で満水状態になる。依頼主の水産会社からは値段は高いが、便利なものだと言われた。

15-1 左舷通路入口端にある工具棚

15-1 左舷通路入口端にある工具棚

15-2 六角プラグ、合の栓を叩き占める木槌

15-2 六角プラグ、合の栓を叩き占める木槌

15-3 潮の吹き上がり押えるシーガル巣金網

15-3 潮の吹き上がり押えるシーガル巣金網

15-4 ブリッジにある開閉弁操作パネル

15-4 ブリッジにある開閉弁操作パネル

16-1 空気圧駆動式開閉弁入り木箱(復元)

16-1 空気圧駆動式開閉弁入り木箱(復元)

16-2 シーガル巣金網の装着

16-2 シーガル巣金網の装着

16-3 開閉弁を締付ける棒状金具とボルト

16-3 開閉弁を締付ける棒状金具とボルト

16-4 空気圧駆動式開閉弁駆動部

16-4 空気圧駆動式開閉弁駆動部

16-5 開閉弁を開放した時

16-5 開閉弁を開放した時

16-6 生間水栓筒にある2本の棒状製品

16-6 生間水栓筒にある2本の棒状製品

16-7 開閉弁を受けるU字型の抉り

16-7 開閉弁を受けるU字型の抉り

16-8 圧縮空気を送り込むピストン

16-8 圧縮空気を送り込むピストン

17-1 シーガル巣金網(上枠)表面

17-1 シーガル巣金網(上枠)表面

17-2 シーガル巣金網(下枠)裏面

17-2 シーガル巣金網(下枠)裏面

17-3 駆動部のゴムに押し付けられるΩ型突

17-3 駆動部のゴムに押し付けられるΩ型突

17-4 駆動部外枠に入れ込む長方形突起

17-4 駆動部外枠に入れ込む長方形突起

17-5 上枠に残された鋳造バリ

17-5 上枠に残された鋳造バリ

17-6 ステンレス金網の挟み込み

17-6 ステンレス金網の挟み込み

17-7 シーガル巣金網の大きさ比較

17-7 シーガル巣金網の大きさ比較

シーガル巣金網

 土型にH型をした上枠と下枠の形をそれぞれに刻込み、銅合金を流し込んで鋳造されている。ステンレス金網はH型に切取った後、上枠と下枠に挟込み、はみ出た部分は叩いて平坦にする。下枠にあるΩ形突起で駆動部にゴムを押し付けて装着するが、実際に付けてみると簡単に装着できる。今はゴムが乾燥し痩せているが、海水で濡れていると、さらに滑らかにはめることができる。

18-1 開閉弁(表面)上端、下端にあるスライド面

18-1 開閉弁(表面)上端、下端にあるスライド面

18-2 スライド面にある横方向の擦痕

18-2 スライド面にある横方向の擦痕

18-3 開閉弁(裏面)ゴムパッキン

18-3 開閉弁(裏面)ゴムパッキン

18-4 ゴムパッキンに残る横方向の擦痕

18-4 ゴムパッキンに残る横方向の擦痕

18-5 生間水栓筒(リグナイト)

18-5 生間水栓筒(リグナイト)

18-6 生間水栓筒(外板側から)

18-6 生間水栓筒(外板側から)

18-7 生間水栓筒凸型(左)凹型(右)

18-7 生間水栓筒凸型(左)凹型(右)

18-8 生間水栓筒(船内側から)

18-8 生間水栓筒(船内側から)

19-1 右側を船首とすると潮を受ける「ツカセ」

19-1 右側を船首とすると潮を受ける「ツカセ」

19-2 潮受け(裏面)

19-2 潮受け(裏面)

19-3 半円形部の抉り込み

19-3 半円形部の抉り込み

19-4 円盤部に組み合う削り込み

19-4 円盤部に組み合う削り込み

19-5 半円形部の内抉り

19-5 半円形部の内抉り

19-6 先端部は鋭く尖っている

19-6 先端部は鋭く尖っている

19-7 潮受けの大きさ比較

19-7 潮受けの大きさ比較

潮受け

 潮受けは船底材や棚板に開けられた栓口の外側に取付けた木製の突起で、船外から新鮮な海水を強制的に取り入れ酸素管理や温度管理を行うものである。木栓には鈍角四角形の木製突起が用いられ、空気圧駆動式開閉弁になると雨垂れ形にその形状を変え、その伝統的技術を採用している。新造船の場合には船大工によって作られ、当初から取付けられていた。第八盛漁丸の見積書には、潮切板・その他で420,000円が計上されている。

20-1 同一材から連続して加工された潮受け板

20-1 同一材から連続して加工された潮受け板

20-2 潮受け板の釘打見本

20-2 潮受け板の釘打見本

20-3 潮受け板裏面

20-3 潮受け板裏面

20-4 潮を受ける半円形部の加工

20-4 潮を受ける半円形部の加工

20-5 檜材から潮受け板原形の切抜き

20-5 檜材から潮受け板原形の切抜き

20-6 潮受け板原形(裏面)

20-6 潮受け板原形(裏面)

20-7 チョークで加工する場所の目印をつける

20-7 チョークで加工する場所の目印をつける

20-8 潮を受ける半円形部の荒化工

20-8 潮を受ける半円形部の荒化工

 有限会社戸髙水産(1972年設立)は大分県佐伯市蒲江浦にある水産会社で、古くからの産地仲買業者であったが、昭和35年(1960年)に長さ32尺、幅7尺、30馬力のディーゼルエンジンを搭載した第1盛漁丸(活魚運搬船1号)で活魚運搬業に参入した。この船は船型が漁船に似ており、「漁船型活魚運搬船」とでも呼ぶことができる。主に近海の活魚を集荷し魚市場に出荷していた。昭和37年(1962年)頃には需給調整を目的とする一部魚種の短期養殖、その後には積極的な給餌によるぶり養殖業に転換した。昭和41年(1966年)に第八盛漁丸(初代)19.90t(21-4)を初めに、昭和43年(1968年)第11盛漁丸(初代)30t(22-2)などの新造船を大日水産株式会社富島造船所に相次いで発注し、養殖魚の活魚輸送を開始した。

 1970年から1975年に本格的養殖業者に転換すると、活魚輸送の船腹不足が予想されるようになり、所有船の船体を延長し生間を増やす積量変更を行った。例えば第11盛漁丸(初代)で4間8艙から5間10艙(22-4・5)、第18盛漁丸で5間10艙から6間12艙、第八盛漁丸で5間10艙から6間12艙、キール長88尺を98尺に延ばす積量変更を行った。変更工事は大規模な改造工事になるため、富島造船所に回漕して行った。昭和55年(1980年)には99屯型明石型生船(活魚運搬船)と呼ばれる第拾壱盛漁丸(OT2-2141)を建造した(第8表第拾壱盛漁丸見積書)。種苗の購入先は四国の宿毛湾岸や北浦(新漁水産)、島浦(今原水産)、五島、対馬、鹿児島県種子島島間港など九州周辺が主体であり、活魚運搬船の分割された生間は種苗をサイズによって分けて積込むことができ、その買付には適していた。活魚の販売先は明石、福良、大阪と松山、糸崎、下津井の2ルートで各港の活魚業者に活魚が引き渡される。本書には販売ルートに密着して撮影された記録と、第拾壱盛漁丸の改修・修理記録が掲載されている。「令和5年(2023年)現在は、その後継船である第弐拾八盛漁丸(OT2-2833)FRP船(総トン数98t、登録長29.91m、幅5.77m、深さ2.43m、主機関ヤンマーディーゼルエンジン736馬力、竣工2001.3)東九州造船戸髙水産は魚を積んで得意先である愛媛県松山市高浜港、兵庫県南あわじ市福良港、関西国際空港橋の下にある釣り堀、兵庫県明石市明石港、兵庫県姫路市家島の釣り堀の順に卸引して行き、帰途は運搬依頼があればそれをこなしていきます。例えば愛媛県今治市伯方島からタイの稚魚を積んで愛媛県八幡浜市八幡浜にとか、高知県須崎市須崎から魚を積んで愛媛県宇和島市宇和島に行くとかの下りの荷物を積みます。また高知県宿毛市宿毛から三重県方面にタイを積んで行ったこともあります。そんな依頼をこなしながら、ほとんど走っています。(戸髙水産戸髙源之助)」

 戸髙水産(第9表戸髙水産所有船一覧)からは、1966年第八盛漁丸(初代)(19t90)、1968年第11盛漁丸(初代)30t、1972年に第18盛漁丸(65t)、1974年第六盛漁丸(75t)、1977年第八盛漁丸(91t)、1980年第拾壱盛漁丸(99.15t)が同様に発注されている。昭和37年(1962年)以来、戸髙政男・戸髙源之助の親子2代にわたり明石型生船を使ってきた。いずれの船も大日水株式会社富島造船所の建造であった。このうち第11盛漁丸(初代)30tは、昭和53年(1978年)に長崎県長崎市戸石で活魚運搬業を営む臼井家に中古船として売却された後の「第十一泰栄丸」として使われ、平成7年(1995年)に事業廃業の為、解体廃船となった。

21-1 第五盛漁丸 大分県佐伯市蒲江浦

21-1 第五盛漁丸 大分県佐伯市蒲江浦

21-2 第六盛漁丸(初代)60馬力 昭和39年夏<br>蒲江港を出るとき千代丸と衝突<br>右舷上棚の長方形の栓口が見える

21-2 第六盛漁丸(初代)60馬力 昭和39年夏
蒲江港を出るとき千代丸と衝突
右舷上棚の長方形の栓口が見える

21-3 右側が第五盛漁丸、左側が第六盛漁丸(初代)<br>60馬力 昭和39年3月8日撮影

21-3 右側が第五盛漁丸、左側が第六盛漁丸(初代)
60馬力 昭和39年3月8日撮影

21-4 第八盛漁丸(初代)昭和41年(1966年)12月建造<br>長さ15.75m、幅3.12m、深さ1.45m、19.90t、ディーゼルエンジン4気筒135馬力、4間8艙、木栓約100箇所

21-4 第八盛漁丸(初代)昭和41年(1966年)12月建造
長さ15.75m、幅3.12m、深さ1.45m、19.90t、ディーゼルエンジン4気筒135馬力、4間8艙、木栓約100箇所

21-5 三津浜魚市場に接岸、右側にセメント造りの市場建物

21-5 三津浜魚市場に接岸、右側にセメント造りの市場建物

21-6 高知県幡多郡大月町古満目港に昭和46年(1971年)<br>3月ブリを積みに行く

21-6 高知県幡多郡大月町古満目港に昭和46年(1971年)
3月ブリを積みに行く

21-7 第八盛漁丸(初代)昭和41年(1966年)12月中頃<br>淡路島富島より乗って帰り、年末売りギリギリに間に合わせる、進水式は年明け1月、ブリッジには冬期に布シートで覆っていた(ブリッジ前面の板目が見えない)

21-7 第八盛漁丸(初代)昭和41年(1966年)12月中頃
淡路島富島より乗って帰り、年末売りギリギリに間に合わせる、進水式は年明け1月、ブリッジには冬期に布シートで覆っていた(ブリッジ前面の板目が見えない)

22-1 積込み作業(3月頃)右が第八盛漁丸(初代)、左が第11盛漁丸(初代)

22-1 積込み作業(3月頃)右が第八盛漁丸(初代)、左が第11盛漁丸(初代)

22-2 第11盛漁丸(初代)進水式 昭和43年(1968年)3月2日<br>大日水産株式会社富島造船所

22-2 第11盛漁丸(初代)進水式 昭和43年(1968年)3月2日
大日水産株式会社富島造船所

22-3 富島造船所の三本の引込レールに活魚運搬船が並ぶ<br>中央が第11盛漁丸(初代)、右側が住吉丸、左側が富栄丸 昭和43年(1968年)3月

22-3 富島造船所の三本の引込レールに活魚運搬船が並ぶ
中央が第11盛漁丸(初代)、右側が住吉丸、左側が富栄丸 昭和43年(1968年)3月

22-4 富島造船所で昭和46年(1971年)5月10日から50日かけて改造工事を実施、全長67尺、幅は前より尺広、生間は4間8艙から5間10艙 第11盛漁丸(初代)

22-4 富島造船所で昭和46年(1971年)5月10日から50日かけて改造工事を実施、全長67尺、幅は前より尺広、生間は4間8艙から5間10艙 第11盛漁丸(初代)

22-5 第11盛漁丸(初代)二度目の進水<br>昭和46年(1971年)8月1日

22-5 第11盛漁丸(初代)二度目の進水
昭和46年(1971年)8月1日

22-6 玄界灘を五島列島に向けて航行中 朝霞の中を南下<br>昭和45年(1970年)頃

22-6 玄界灘を五島列島に向けて航行中 朝霞の中を南下
昭和45年(1970年)頃

22-7 大分県佐伯市蒲江浦の戸髙水産活魚運搬船<br>昭和45年(1970年)右は第11盛漁丸(初代)、<br>中央は第八盛漁丸(初代)、左は第六盛漁丸

22-7 大分県佐伯市蒲江浦の戸髙水産活魚運搬船
昭和45年(1970年)右は第11盛漁丸(初代)、
中央は第八盛漁丸(初代)、左は第六盛漁丸

第9表(有)戸髙水産所有船一覧

第10表(有)天野水産所有船一覧

 昭和52年(1977年)の在庫表には、中古機械他部品242,600円、第八盛漁丸部品969,210円、仕掛品在庫第八盛漁丸14,396,003円の合計15,607,813円として仕掛在庫第八盛漁丸が記載されている。長さ27.50m、幅5.50m、深さ2.10m、91tのニイガタディーゼル600馬力を搭載する大型船である。

 在庫表の第八盛漁丸の使用木材について金額別に整理すると、弁甲5,584,103円(63.22%)、米松2,708,082円(30.66%)、肥松234,630円(2.66%)、ケヤキ267,300円(3.03%)、タブ38,298円(0.43%)の計8,832,413円で弁甲材が多く使われていることが分かる。作料は465人×10,000円=4,650,000円であった。戸髙水産宛ての第八盛漁丸見積り書は2通あり、昭和51年7月付けでは80,011,900円(第11表第八盛漁丸見積書)、昭和51年7月8日付け85,761,900円(第12表第八盛漁丸見積書)となっている。

 有限会社天野水産(1972年設立)は大分県佐伯市蒲江浦にあった水産会社で、元広島県川尻町で明治40年頃から活魚仲買業者として創業し、大正元年(1912年)明石型活魚運搬船の第七号大正丸を建造し活魚運搬業に従事した。大正時代からは豊後水道のほぼ中央に位置する米水津村利浦(よのづ)を拠点に活魚運搬業を行ってきた。集荷した天然活魚は大正丸で広島・尾道・岡山・神戸・大阪に出荷していた。昭和40年(1965年)から養殖・活魚運搬業の複合経営を開始するとともに、昭和50年(1975年)頃から天然魚主体の活魚から養殖漁主体の活魚に転換した。流通市場も北九州(丸福)、尾道(県水)、明石(菅徳)、淡路島(橋爪鮮魚)、香川県漁連などの流通基盤を整備した。大分県魚類小割式養殖業の歴史編纂発起人会『魚林 大分県魚類小割式養殖業の歴史』1999には大分県の養殖業の歴史が詳しく記録されているので参考になる。

 有限会社天野水産(第10表 天野水産所有船一覧)からは、1968年第二十一大正丸(63t04)、1970年第二十三大正丸(99屯型)、1976年第二十五大正丸(99屯型)、1977年第三十一大正丸(99屯型)が継続的に発注されている。なお、瀬戸内海歴史民俗資料館『瀬戸内海の船図及び船大工用具-重要有形民俗文化財調査報告書-』1994の195頁~196頁Ⅰ-1-5ABには、大日水産株式会社富島造船所の2代目棟梁である宗和豊松氏が昭和40年代に杉板に書いた大型明石型生船の板図(兵庫県津名郡北淡町富島採集)が収蔵されている。A面に大正丸、B面に第八大丸(昭和54年7月完成)の杉板墨側平面図が書かれている。

 昭和50年(1975年)7月18日付の見積書(第13表第二十五大正丸見積書)では、船体工事58,395,000円、燃料タンク555,000円、生間水栓筒(空気圧駆動式開閉弁130個所)11,050,000円の運搬船建造費合計70,000,000円(主機関及び艤装は含まれない)が計上されている。また昭和51年2月(1976年)在庫表の第二十五大正丸の使用木材について金額別に整理すると、弁甲5,431,467円(64.84%)、米松2,405,075円(28.71%)、肥松234,630円(2.80%)、ケヤキ267,300円(3.19%)、タブ38,298円(0.46%)の計8,376,770円で弁甲材が多く使われていることが分かる。

 米松は主にシキやトダテ、アオリに使われる。明石型生船の船底材にあたるシキは、やや幅広で99屯型の船で厚さ2尺3寸(69.7cm)の分厚い板材5枚を複雑に組合せ、強度を増している。在庫表にある長さ12m~13.2m、直径80cm~85cmの丸太材はこのシキに使わられるものである。戸立(トダテ)は魚を入れる部屋を仕切る隔壁で、シキやカジキの内側に曲りに沿って入れる下マツラ、上棚の内側にそれぞれ適当な間隔で入れる立マツラと共に、明石型生船の横方向への圧力に強い構造となる。戸立は米松の厚さ5寸(15cm)、幅は生間の場所によって違うが約1.8m~2.1mの分厚い板材を使う。下棚(舷側板)を付けるまでに、1枚目を船底から亜鉛メッキされたボードを入れて6寸~7寸間隔でナットによって締め付け取付ける(写真帳270頁533)。この船では4分ボードが720本(280g/本、74円20銭/本)、201.6kg×265円/kg=53,424円使われていた.この1枚目の船底への取付け部分だけはマキハダを詰めていた。その上に積上げられる4枚の板材は、平面に置いた状態で摺合せて縫釘で結合し、一枚の大板にしてから先に設置された1枚目の隔壁材の上にクレーンで吊上げて取付けた(写真帳226頁285)。板が同じ方向に反るのを防ぐために、板材は木表、木裏、木表、木裏と交互に使っていた。在庫表にある長さ10.40m~11.20m、幅76cm~78cmの板材はこの材料である。

 弁甲材は下棚部分に8尋×8寸5分×4寸5分(2枚)、7尋×8寸5分×4寸5分(2枚)、6尋×8寸5分×4寸5分(2枚)の6枚の長尺の4寸5分の厚みのある弁甲材を使い、上棚には9尋×尺9寸5分×2寸3分(14枚)、8尋×尺8寸×2寸3分(24枚)、7尋×尺6寸5分×2寸3分(4枚)、6尋×尺5寸×2寸3分(14枚)、5尋×尺3寸5分×2寸3分(10枚)、4尋×尺2寸×2寸3分(4枚)の9尋~4尋までの70枚の2寸3分の厚みが同じ弁甲材を使っている。特に9尋弁甲、8尋甲と呼ばれる長尺弁甲材が数多く使用されている。この板材は丸太材を製材していることから、外側に白太(シラタ)部分があるので、板材と板材を接合する際にはこの白太部分(約10%~15%)を電動丸ノコで切落として、新鮮な赤身部分を摺合せ縫釘で接合していた。この船では7寸8分の縫釘が3.200本(170g/本、88円40銭/本)、544kg×520円/kg=282,880円使われていたことが分かる。この赤身だけを使うことは船大工の誇りであり、腐食し易い白太(シラタ)部分を取除くことによって船が25年以上長持ちすると言われていた。それだけ明石型生船の建造費が高価になり、どこの水産会社でも発注できるものではなかった。製造期間は船大工棟梁、船大工、臨時工で、99屯型を4~5か月で完成させていた。作料は498人×9,500円=4,731,000円であった。

 昭和52年(1977年)12月付の御見積書(第14表第三十一大正丸見積書)では、船体工事58,781,600円、生間水栓筒12,200,000円(空気圧駆動式開閉弁132個所)、レーダー他1,300,000、艤装船体工事(附帯)3,833,700円、艤装電気工事2,247,700円、艤装船具1,718,824円、艤装附帯工事7,562,000円の合計87,643,824円(主機関は含まず)が計上されている。

 第11朝日丸は「第十一朝日丸 浜本寛治 昭和52年9月~」のファイルに、昭和53年8月26日付の船舶建造工事請負契約書、昭和52年9月13日付の農林大臣宛の造船契約(予約)証がある。発註者の広島県豊田郡川尻町、浜本豊治(使用者、鶴見町漁業協同組合)から活魚運搬船が発注されている。請負金額21,000,000円船体のみで、主機関、進水式に要する費用等は含まれていない。19.84tの活魚運搬船としては小型であるが、昭和53年12月15日付のモリヨシ株式会社の御註文請書から空気圧駆動式開閉弁が32台装備されていたことが確認できる。広島港、尾道港、糸崎港など広島県を中心に瀬戸内海西部を活動地域としていた。

 昭和54年(1979年)の在庫表には、機械及び部品6,018,078円、仕掛品在庫第八大丸17,907,338円の合計23,925,416円として仕掛在庫第八大丸が記載されている。鹿児島県鹿児島市のマルサ水産株式会社が昭和53年に大日水産富島造船所に発注した99屯型の明石型生船で、昭和53年12月21日起工、昭和54年6月12日進水、昭和54年7月11日完成している。長さ29.33m(登録)、幅5.15m、深さ2.22m、総トン数98.12t、主機関は4サイクルディーゼル700PS(新潟 6MG22X型 900RPM)、5,000,000円の最新エンジンを搭載していた。工藤荘一 明石型木造99トン型活魚運搬船「第8大丸」『漁船第224号』社団法人漁船協会1979年第八大丸を建造する時に法律が変わり、はまち養殖運搬船を漁船として申請する場合に正確な図面が必要になり、初めて設計屋に図面を依頼し作成し申請した(第3図)。建造費は126,700,000円で昭和53年12月付け、マルサ水産(株)宛の同額の見積書がある(第15表第八大丸見積書)。

第3図 第八大丸 一般配置図(漁船第224号より)

第3図 第八大丸 一般配置図(漁船第224号より)

 魚艙は分厚い米松の戸立によって仕切られ、ブリッジ前にある第1生間から船首に向かって第6生間があり、中仕切りによって1番取舵・1番面舵から6番取舵・6番面舵の6間12艙の生間がある。生間は第1生間~第5生間が幅2.30mで第6生間は幅1.70mと少し狭い。第6生間の船首側には幅1.60mの第1倉庫(氷冷庫)、幅1.50mの第2倉庫(錨やロープを保管)がある。なお、第1生間の三分の一はブリッジの下に位置しており(この魚艙配置は明石型生船の特徴)、タイなどの高級魚を入れておりブリッジから魚の状態を確認できた。活魚艙の総容積は127.09m3である。

 さて、在庫表の第八大丸の使用木材について金額別に整理すると、弁甲5,307,386円(39.89%)、松3,365,023円(25.29%)、米松1,920,000円(14.43%)、ケヤキ1,135,000円(8.53%)、肥松840,000円(6.31%)、モアビ673,379円(5.06%)、ヤカール63,115円(0.48%)の計13,303,903円で弁甲材が40%で多く使われていることが分かる。

 外板は伐採後1年から2年間乾燥させた日向産の弁甲材を使用する大板造り工法(伝統的和船工作法)で造られる。船底外板の片舷幅約2mを幅40cmの板材5枚を縦に積上げ、鎖付逆U型万力(ダルチン)で締付けて密着させる。締付け部には板切れを挟んで柾目面が傷まないようにしていた。積上げられた板材は、亜鉛がけされた7寸8分の縫釘により約23cm間隔で縫い合わせ船底外板の片舷の大板とする。接合面には昔はマキハダを使っていたが、現在は速乾性接着剤が普及し時間が短縮された(生船写真帖230頁298)。この板(カジキ)を焚火で炙りながら手作りのノズルから水道水をかけて、左舷と右舷を別々に一日かけて焼曲げて船型に合わせた。こうして仕上げた両舷の外板を敷に通釘で取付け、さらに隔壁となる戸立の一段目を船底よりボードによって接合することにより船底形状が完成する。船側外板(上棚)も船底外板と同様な方法で造られ、弁甲材を逆L字型に加工した梶木を挟んで船底外板に通釘で取付け、肋骨となる立マツラ、下マツラで補強する。肋骨と外板、外板と防舷材との接合は桧材の木ボードで行い、金属釘は使用していない。この船体外板に使われる弁甲材は、在庫表にある6尋×64cm、7尋×56cm~58cm、8尋×62cm~64cm、9尋×63cm~70cmの丸太から製材された8尋弁甲、9尋弁甲と呼ばれる長尺弁甲材が数多く使用されている。さらに当時では入手困難になっていた11尋×2尺×2寸2分の特注材も使用していた。

 第八大丸は老朽化に伴い、大分県佐伯市蒲江浦の戸髙水産に売却されたが虫食いなどによる腐食の著しい船体は解体された。比較的に状態が良かった船体上部材は第拾壱盛漁丸の修繕材の一部として使用された。なお残った部材の一部は現在も戸髙水産の倉庫内に保管されている。

第4図 第三栄丸 活魚運搬船一般配置図

第4図 第三栄丸 活魚運搬船一般配置図

 第三栄丸(23-1)は「第三栄丸 藤原栄治 昭和56年8月~」のファイルに、昭和56年9月9日付の船舶建造請負契約書、昭和57年2月1日付の造船契約(予約)証がある。発註者の広島県沼隈郡内海町内ノ浦、藤原栄治から活魚運搬船が発注されている。請負金額12,827,440円で同額の第三栄丸藤原宛の見積書(第16表 第三栄丸見積書)がある。その内訳は船体9,454,490円(作料15,000円×240人=3,600,000円)、機関場艤装工事1,089,350円、船体艤装工事741,600円、塗装工事430,000円、電気設備工事455,800円、法定用備品その他156,200円、諸経費500,000円である。見積書の詳細を見ると活魚運搬船の構造に合せて、材料(樹種)や寸法が判るものであり原材料を調査する上で重要である。また生間の項目には、銅板、銅鋲、銅線、マキノセン54枚で135,000円(1枚2,500円)の記載があり、5間10艙に54箇所の栓口(24-1)が設けられていたことが分かる。昭和43年(1968年)以後に建造された活魚運搬船が空気圧駆動式開閉弁を採用している中で、この船は伝統的な木栓技術が使われている。内海を主な活動域とする小型活魚運搬船であったので、重く高価な空気圧駆動式開閉弁を必要としなかったと考えられる。

 なお船舶建造請負契約書には、第三栄丸の設計図面として活魚運搬船一般配置図(1/30)が添付されている(第4図)。主要寸法が長さ14.00m、幅3.20m、深さ1.30m、主機関ディーゼル90馬力(24-3)、約13tである。生間は5間10艙で前面が曲面をなすブリッジの下部に第一生間の半分がもぐり込み、ブリッジ後方の運動デッキは低く屋根が架けられている。機関場の詳細は記入されていないが、右舷400リットル、左舷400リットルの燃料タンクが配置され、煙突には〇栄のファンネルマークがある。全体的に船型は明石型生船に近いが水押が前方に倒れており(23-2)、さらに船尾艫周りも直線的(23-3)で少し船型が異なっている。

23-1 明石型生船に一部似ているが「漁船型活魚運搬船」

23-1 明石型生船に一部似ているが「漁船型活魚運搬船」

23-2 船首形状も一見漁船に見える

23-2 船首形状も一見漁船に見える

23-3 漁船型の直線的な船尾

23-3 漁船型の直線的な船尾

23-4 活魚運搬船の生間構造

23-4 活魚運搬船の生間構造

第三榮丸

広島県福山市内海町の藤原栄治氏所有の活魚運搬船(5間10艙 マキノセン54枚)、長さ14.00m×幅3.20m×深さ1.30m、13t、ヤンマー6気筒90馬力デーゼルエンジン。昭和57年(1982年)兵庫県淡路の大日水産富島造船所で進水。広島県、愛媛県弓削島等の近海で活魚買付をしていた。

24-1 生間は5間10艙に54個所のマキノセン

24-1 生間は5間10艙に54個所のマキノセン

24-2 ブリッジ右側にある舵輪

24-2 ブリッジ右側にある舵輪

24-3 6気筒90馬力ディーゼルエンジン

24-3 6気筒90馬力ディーゼルエンジン

24-4 大日水産株式会社富島造船所の銘板

24-4 大日水産株式会社富島造船所の銘板

24-5 取引場生簀に接岸する第三榮丸

24-5 取引場生簀に接岸する第三榮丸

 第八拾壱住吉丸(HG2-3773)は大日水産株式会社が社船として、昭和56年(1981年)9月に建造した最後の活魚運搬船で99.58t、長さ29.87m、幅5.18m、深さ2.19m、新潟鉄工所製ディーゼルエンジン6気筒800馬力、空気圧駆動式開閉弁(シーガル巣)、6間12艙の生間を備えていた。建造費用は120,007,470円である。この船は養殖漁場を漁撈場と見なさない解釈から貨物船の扱いを受けてきたが、漁撈場と見なす解釈に変更されたため、第一種漁船として建造され漁船保険の加入が認められた。昭和57年7月27日に兵庫県香住漁港で開催された、第2回全国豊かな海づくり大会「ふるさとの海を豊かに美しく」に御召船として栄誉を賜った。兵庫県水産課と養殖漁業の関係があり、前年に建造された新造船であったことから依頼された。第八拾壱住吉丸用船料御見積りには造船所工事費3,210,000円、基本料金15日×168,000円/日=2,520,000円、使用燃料費15キロリットル×78,000円=1,170,000円の合計6,900,000円が計上されている。

昭和57年7月15日付で大日水産株式会社と兵庫県知事坂井時忠の間で、傭船契約が締結されており、その添付書類である全国豊かな海づくり大会御召船傭船計画には、傭船日数昭和57年7月16日~7月30日(15日間)、傭船費用3,000,000円となっている。一週間前には乗組員6人が乗船し、朝8時頃に母港である淡路島富島港を出港、翌日早朝に下関海峡を通過し夕刻には兵庫県美方郡香美町にある香住港に到着した。船は岸壁に係留され、要人警護のため船内や船底部に潜って異常がないか確認された。海づくり大会当日は先代社長の日野顕徳を初め、大日水産株式会社社員約10名が直接会場に向かい、それぞれの役割を担った。大会では香住港内に第八拾壱住吉丸で活魚運搬した鯛や鮃の稚魚が放流された。御召船要目の一つに「放流行事に使用する稚魚を安全に飼育運搬できる活魚装置を有する船である事」の項目がある。

写真25 阪神・淡路大震災で富島港内に滑り落ち横転し沈没した第八拾壱住吉丸

写真25 阪神・淡路大震災で富島港内に滑り落ち横転し沈没した第八拾壱住吉丸

 大会終了後は往路と逆ルートで富島港に寄港した。その後は九州地域から神戸市垂水港基地に向けて養殖ハマチやマダイの輸送を行っていた。

 昭和60年代になると活魚輸送の主流が活魚トラックになるとともに、乗組員の高齢化等の社会環境の変化に伴い、平成4年(1992年)に活魚輸送を停止する状況になった。その後2~3年は富島造船所に船大工や従業員数名を残して管理していた。造船所には事務所、倉庫、製材所などの建物と造船材が僅かに残されていた。第八拾壱住吉丸は上架されていたが、平成7年(1995年)1月17日に発生した阪神・淡路大震災によって富島港内に滑り落ち横転し沈没した(写真 25)。造船所も大被害を受けその幕を下ろし、造船所用地は震災復興住宅の建設用地として富島町に売却した。