昭和37年(1962年)12月末から昭和38年(1963年)2月初めまで、約1か月にわたり北陸地方を中心に東北地方から九州にかけての広範囲で起こった豪雪が「三八豪雪」と呼ばれている。明石においても海水温が4℃まで下って異常低温を引き起し明石ダコが全滅したと言われている。井上喜平治『蛸の国』昭和52年(1977年)158頁「昭和38年1~2月に、明石海峡を中心としてまた大冷害が起こり、魚類はもちろん大被害を受けたが、マダコは絶滅にひんするほどの大被害を受けた。そのため資源の増強策として、昭和38年7月には九州天草から稚ダコ約一万キログラム(250g×40,000匹)購入して放流し、同年7月5日から9月4日まで、その地域(蛸の国)ではマダコの漁獲を禁止した。またその後も各漁業協同組合では自主的に漁獲の制限を行ったところ、昭和39年下半期に至って資源はややもちなおしている。」と述べられており、マダコ絶滅の大被害の対策として天草から稚ダコを確保したことがわかる。この報告は大日水産株式会社に残されていた契約書にほぼ合致するが、マダコの買付先が天草地方であること、稚ダコ約10,000kg(250g×40.000匹)、禁漁期間が38年7月5日~9月4日であることなど、鹿の瀬会の事情が解ることから鹿の瀬会関係者から聞取りを行い、記録されたものと考えられる。
この明石と天草地方をつなぐ資料として、新たに発見されたのがこの契約書である。大日水産株式会社社長の日野賀生氏も先代社長である日野顕徳氏から天草地方から明石にマダコを活魚運搬船(生船)で何回にも分けて運んで来たことは聞いていたが、契約書を見るのは初めてであった。昭和38年6月22日付の契約書では鹿の瀬会会長小川計次(甲)と大日水産株式会社代表取締役日野顕徳(乙)との間にたこ資源補充対策事業として、たこの買付及び生船による運搬について契約されている。この契約書にはマダコの買付先の場所の記述はないが、関係資料から天草地方であったことは確実である。特に第二條にはマダコの規格200g~400gまでとあるが、天草地方にはあまり大きなマダコはいなかったようで250g位の小粒のマダコが多かった。数量12,500kgを平均250gのマダコで割ると50,000杯のマダコを運んだことが分かる。現地買付価格kg当り100円、12,500kg×100円=1,250,000円、輸送経費kg当り50円、12,500kg×50円=625,000円、総合計1,875,000円の契約となる。第三條の買付期間は昭和38年6月15日より7月31日であった。兵庫県からの要請を受けて、天草から明石にマダコを輸送していたのは、50総トン活魚運搬船で昭和38年(1963年)において可動していた第五住吉丸(HG2-1708)41.30トン、第一住吉丸(HG2-1727)49.98トン(写真1)、第拾壱号住吉丸(HG2-1928)42.16トンなど全て住吉丸であった。仮にこれらの船で250gのマダコ50,000杯、12,500kgを運ぶとすると、4間の生間がある生船に一航海3,125kg、四航海位が必要となる。
では実際はどうであったかは、天草産稚だこ購入清算明細書(第1表)で詳細が確認できる。明細書はB5版の兵庫県の名前入りの罫紙に書かれたもので、サイン、捺印等はなくメモとして記録されたものである。その内容は、運搬日及び日数については、昭和38年7月5日から7月31日のうち9日が輸送日となっている。定期的に運搬しているように見えるが、7月23日・24日、7月28日・7月30日・7月31日に次々に運搬している。昭和47年にできた長崎県北松浦郡御厨漁港にある大日水産株式会社星鹿まで、無寄港で片道26時間30分の工程がかかりさらに遠くなる天草地域から集荷するには、日野賀生氏が記憶しているように一隻の住吉丸が集荷していたと考えるよりも、登録番号がことなる複数の住吉丸がその集荷の役割を担っていたことが確認できる。契約予定数量12,500kgのうち約93.8%にあたる売買契約数量11,732kgが確保できている。稚だこ1杯250gとすると約46,900杯の稚ダコを運んで来たことになる。原魚代は売買契約数量11,732kg×100円=1,173,200円、運搬代492,650円の計1,665,850円で、大日水産請求額1,665,850円、大日水産領収額1,625,850円(△40,000円)である。
さらに注目されるのが、この引渡し場所が富島沖引渡となっていることである。遠く天草から運ばれてきた稚だこを、さらに富島沖に新たに生簀を設け大量のタコを管理していたとは考えにくく、稚だこを検査・検量し鹿の瀬に直接放流していたものと推測される。当時、住吉丸の機関長であった田口誠氏は、稚だこ約2,000kgを運び、家島沖より鹿ノ瀬に向け放流したと語っている。また、集荷の役割を担っていた住吉丸は何れも50総トン活魚運搬船であることから、稚ダコを運んで来ただけでは利益が少ないため、空いた生間にその他の活魚を運んでいた可能性がある。
さらにタコを運ぶには生間内にタコ巣やソデ巣などのタコ棚を取付けて、とまり木となる芝の枝を準備する必要があった。明石のタコは足が短く太いのに対して、運んで来た天草のタコは全体的に小さく、素人目で見ても形は違っていた。放流後は9月4日まで禁漁になっていたが、解禁したら数日で取り尽くした。これが天草地域から明石に活魚運搬船(生船)でマダコを運んできた実態である。今までは天草地域から明石にマダコを運んで来たことは語られてきているが、淡路島富島の活魚運搬船が活躍したことは伝わっていない。今回始めて明らかになったことである。
契約書(たこ資源補充対策事業契約書 昭和38年6月22日)
鹿の瀬会(以下甲という)と大日水産株式会社(以下乙という)との間に、たこ資源補充対策事業にかかる、たこ買付及び運搬について次のように契約を締結する。
第一條 甲はまだこの買付について権限を乙に委任し、乙は甲の委任よりまだこの買付を行い、甲、乙協議の上選定した場所において、まだこの引渡しを行うものとする。
第二條 第一條の買付けまだこの規格、数量、価額及び経費は、次のそれぞれの範囲内とする。
規格 200gより400gまで
数量 12.500kg
価格 現地買付け価格kg当り100円
経費 輸送経費 kg当り 50円
第三條 第一條の買付け期間は昭和38年6月25日より同年7月31日までとし当該期間の延長を必要とする場合は、甲、乙協議上決定するものとする。
第四條 またこの買付け並びに運搬に要する費用は事業終了後、乙より請求に基き清算するものとする。
第五條 乙の買付けに係るまだこの搬入は、乙に於いて善良なる管理のもとに行ふものとし引渡しまでの一切の事故については乙の責任に於いて行うものとする。
第六條 第四條に基き甲が乙に支払うべき金額は買付け数量に買付け単価を乗じたものより、着地における目切数量相当額を差引いた額及び活魚としての着数量に相当する輸送経費を加えた額とする。
第七條 前各條に定めるものの外、必要な事項は甲、乙協議の上決定するるのとする。上記契約を履行するにあたり後日の証として甲、乙、各一通を保有するねのとする。昭和38年6月22日
甲 鹿の瀬会会長 小川計次
乙 大日水産株式会社社長 代表取締役 日野顕徳