「三八豪雪」によって明石においても海水温が4℃まで下がって明石海峡を中心に大冷害が起こり、魚類も被害を受け、マダコは絶滅に近い大被害を受けたこと。そしてその資源の確保先として九州天草からマダコが運ばれてきたことが、幾つかの資料に記録されているが、だれが、どのようにして天草から大量の生きたマダコを運んで来たのか。明石と天草を繫ぐ資料は見つかっていなかった。
今回、大日水産株式会社資料から新たに発見された、昭和38年(1963年)6月22日付、鹿の瀬会長小川計次と大日水産株式会社代表取締役日野顕徳とのたこ買付及び運搬についての契約書、天草産稚だこ購入清算明細書の存在が明らかになり、大日水産株式会社所属の活魚運搬船(明石型生船)がその役割を担っていたのが明らかになった。明石からはある程度その接点を求めることが出来たが、さて九州天草からはどうであろうか。今回報告した基本的な資料をもとに九州天草側からの研究も進めていただきたい。