3 昭島の歴史を語る主要な寺院

226 ~ 228
旧村名寺院名本尊創建伝承など
拝島大日堂
(密厳浄土寺)
 天台宗
大日如来
 釈迦如来
 阿弥陀如来
◎天暦六年(九五二)多摩川の洪水の折、中州に流れ着いた大日如来の木像を大神の浄土に安置したという伝えや多摩川花井の島より出現したという伝えなどがある。その後滝山城築城の時鬼門除けとしてこの地に移した。
◎北条氏照の家臣石川土佐守の娘おねいの眼病平癒を祈願し、そのお礼に堂宇を再建しほかに大日八坊を建立した。
◎天正十九年(一五九一)徳川家康から十石の御朱印を賜った。
◎享保(一七三二)大再興が行われ、本堂の位置を現在地に移した。
◎仁王門には鎌倉末期の正和三・四年(一三一四・一五)の金剛力士像を安置。
普明寺
 天台宗
大日如来◎天正年間(一五七三~九一)石川土佐守が創建した大日八坊の一つ。
◎天正十九年(一五九一)大日堂領十石の朱印地の内、別当寺として三石を配当された。
◎明和四年(一七六七)の日吉神社の祭礼巡行を描いた『山王祭礼図絵』を所蔵する。
円福寺
 天台宗
阿弥陀如来◎天正年間(一五七三~九一)石川土佐守が創建した大日八坊の一つ。
◎天正十九年(一五九一)大日堂領十石の朱印地の内、一石を配当された。
◎大日八坊のうち、廃寺となった智満寺・蓮住院の古過去帳が保存されている。
本覚院
 天台宗
阿弥陀如来◎天正年間(一五七三~九一)石川土佐守が創建した大日八坊の一つ。
◎天正十九年(一五九一)大日堂領十石の未印地の内、一石を配当された。
◎元三大師(拝島大師)の別当としてその護持にあったてきた。
拝島大師
 天台宗
慈恵大師◎慈恵大師像は元亀二年(一五七一)織田信長の比叡山焼き討ちの際、敬諶大僧都によって救い出されたもの。天正六年(一五七八)に当地に安置されて以来、本覚院が護持してきた。
龍津寺
 曹洞宗
釈迦如来◎天文年間(一五三二~五五)の開創、開山説翁星訓禅師、開基義徹宗廓居士(花房主計)。
◎天正十九年(一五九一)徳川家康から寺領三石の朱印地を賜った。
◎安永二年(一七七三)総門に『玉水禅窟』の額が掲げられる。
◎文化六年(一八〇九)大田南畝(蜀山人)が訪れている。
◎天保十四年(一八四三)天井板絵・杉戸絵(飲中八仙図)が描かれる。大岡雲峰筆。
田中田中寺
 曹洞宗
聖観音菩薩◎宝暦三年(一七五三)龍津寺六世大方朝山和尚によって創建。開基の等外一閑庵主をとり東外庵(等外庵)と称した。昭和十七年田中寺と改称した。
上川原龍田寺
 曹洞宗
釈迦如来◎元和元年(一六一五)龍津寺二世南室宗丹和尚によって創建。
◎文化年間(一八〇四~一八)に痢病(赤痢など)の守護神といわれる痢病尊を神奈川県秦野の養国院から勧請した。
大神観音寺
 天台宗
十一面観音菩薩◎東勝寺が武田勢の兵火によって焼失後、慶長八年(一六〇三)権大僧都広栄法印が現地に再興したと伝える。
◎延文元(一三五六)銘をはじめ数基の板碑を所蔵している。
◎作目村の寛文(一六六一~七三)検地帳を保管している。
東勝庵
(東勝寺)
(延命地蔵尊)◎創建年代未詳であるが、観音寺の保管の板碑数基が境内から発見されたと伝えられる。
◎永禄十二年(一五六九)滝山合戦の際に武田軍の兵火に焼かれた。
◎慶長年間(一五九六~一六一五)に地蔵堂として再建されたという。本尊は現在観音寺に安置。
宮沢阿弥陀寺
 真言宗
 智山派
阿弥陀如来◎創建年代未詳であるが、板碑の年代から十三世紀には創建されたと考えられる。
◎当初は現在地より東方にあったが、元禄初期の火災ため、元禄十四年(一七〇一)に現在地に再建された。
◎建治三年(一二七七)銘をはじめ数基の板碑を所蔵している。
◎江戸時代の初代領主鎌田孫左衛門正久の墓がある。
中神福厳寺
 臨済宗
 建長寺派
聖観音菩薩◎寛永元年(一六二四)万松和尚が創建した。
◎風土記稿によると、境内は「天正以前、立川宮内少輔の一族が居住せし跡なり」とあり。
◎本堂は昭和二十年四月の空襲で焼失、現本堂は昭和三十六年の再建。
築地真覚寺
 天台宗
阿弥陀如来◎開創年代未詳
◎文化八年(一八一一)の多摩川の洪水で村ごと流失、その後、現在地に移転したといわれる。
◎脇立の不動尊は目が黄色なので、目黄不動尊とよばれている。
福島廣福寺
 臨済宗
 建長寺派
十一面観音菩薩◎貞治二年(一三六三)開創。開山は直庵啓端で立川普済寺三世、鎌倉建長寺百十九世。
◎慶長年間(一五九六~一六一五)内藤氏が福島の領主となり再興した。
◎建武四年(一三三七)の板碑、貞治五年(一三六六)康暦元年(一三八一)銘の宝篋印塔の基礎部が現存する。
◎応永元年(一三九四)銘の釈迦如来座像が現存する。
◎江戸時代の初代領主内藤源左衛門正頼(正久)を始め累代の墓がある。
◎樹齢五〇〇年のクロマツがある。
郷地宝積寺薬師如来◎開創年代未詳 本尊薬師寺如来は江戸時代初期の作といわれる。本堂は文政九年(一八二六)の再建。
◎本堂裏の墓地に『露草雙紙』の作者・不老軒うたたの墓がある。