昭島を構成した十か村

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 明治五(一八七二)年、府県制がしかれたとき、現在の昭島市の市域は、拝島、作目、田中、上川原、大神、宮沢、中神、福島、築地、郷地の十か村に分かれ、隣の立川村と合わせて、神奈川県北多摩郡に属していました。作目村は明治十三(一八八〇)年に田中村に合併しました。その後、明治十七(一八八四)年には、九か村は、立川村と連合して十か村組合村になりました。
 その後、明治二十二(一八八九)年、立川村が十か村連合村から離れたので、連合村は九か村になりました。
 明治二十六(一八九三)年、三多摩地方が東京府に編入され、九か村は、東京府北多摩郡になりました。
 九か村から拝島村が分かれて独立したのは、明治三十五(一九〇二)年です。さらに、昭和三(一九二八)年には、拝島村を除く八か村は、組合村の組織を解体して新たに昭和村となり、昭和十六(一九四一)年に、昭和町になりました。つまり、この時点で、〈昭和町と拝島村〉になったのです。
 昭和二十九(一九五四)年、この二つのまちが合併しました。「昭」和町と拝「島」村の名前から一字ずつをとって、昭島市と名付けられ、東京都で七番目の市になりました。

昭島市全図(緯度経度)


東京都行政区分図