台地上は、ほぼなだらかで、自然の河川は一本もありません。したがって、かつては、農業にはあまり適さない土地であったと思われます。
しかし、江戸時代の初めに玉川上水が引かれ、やがて、そこから飲用として拝島分水が引かれ、農業用水にも使われるようになって、畑地も増えてきたようです。分水は、水車を回す動力としても使われました。拝島分水は、今でも、旧奥多摩街道の両側を流れています。
多摩川は大河川です。奥多摩から江戸まで、材木をいかだに組んで流したり、田の用水に使われたりしました。江戸時代には、アユ釣(つ)りや鵜飼なども盛んでした。
しかし、台風シーズンの長雨や集中豪雨は、しばしば大洪水をひきおこしました。流域の人々は、水田や家を流されることもありました。比較的土地の低い地域の人々は、そのたびに、たいへん苦労をしました。
玉川上水(美堀町)