かつての名物「赤っ風」

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 私たちの祖先は、武蔵野台地の原始林を開拓して田畑にしてきました。しかし、冬から春にかけて、その台地に強い季節風が吹(ふ)きつけると、耕地の砂を天高く吹き上げ、目も開けていられないような状態になりました。
 四月から五月にかけて、関東ローム層の、地表面に接する三十~四十センチメートルの厚さまでは、乾燥して、まるで土地の表面に灰を積んだのに等しい状態になっています。そこに、強い北風が吹くと、ローム層の赤土が、たちまちもうもうとした土煙になるのです。
 自然のいたずらである「赤っ風」に対して、昔の人々は、がまん強く立ち向かいました。火山灰の陸田はけっしてよい田とはいえません。台地で水の便も悪かったので、人々は食料作物の耕作をあきらめ、桑を植えました。
 時が過ぎて、近年、養蚕業がおとろえて、桑畑を縮小した台地上の畑地は、ベット・タウン建設地域として開発されました。広大な畑地を宅地に造成し、細い砂利道を拡張整備して、そうして、広い舗装道路を縦横に通しました。宅地団地を形成させたため、かつての「赤っ風」被害は激減し、住みよい住宅環境に転換しつつあります。