縄文集落の発展と空白の弥生時代

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 縄文時代には、人々は川などでとれる魚や貝類、野山にいる小動物、さらに木の実などを食べて生活していました。田畑を作り、そこで作物を栽培するようになるのは、弥生時代になってからと考えられています。
 縄文時代の遺跡は、中期のものを中心に、市内の色々な場所にあります。しかし弥生時代の遺跡は、ほとんど発見されていません。
 縄文遺跡が、水からやや離れた高台などに多いのに比べて、弥生遺跡は、ずっと水に近いのが普通です。弥生時代の生活は、狩猟・採集とともに、水田耕作が中心だったと考えられています。昭島市内には小河川がありませんから、人々は多摩川沿いの土地に住んだと考えられます。
 当時、自然のままの多摩川は、たびたび洪水を起こしたことでしょう。
 このような土地は、水田を作るのに適しません。人々は、そこに住むことをやめて、他の土地を求めたのかもしれません。
 そのため、昭島市には、弥生遺跡がほとんどないのだろうと考えられています。