古墳時代の昭島市域

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 山ノ神遺跡は、六世紀ごろの古墳時代の遺跡で、土師器も出土しています。
 山ノ神遺跡は、福生市と接する市の西端にあります。それぞれ六メートル前後の方形の竪穴住居跡が三軒発見され、かめ、こしき、坏などの土器が出土しました。
 また、田中町浄土にある浄土古墳は、竪穴式的横穴石室をもつ古墳です。今のところ終末期の古墳と考えられています。ここからは、金銅製の耳飾りが出土しています。
 平成七年七月、大神町三丁目の住宅地を発掘調査して新しく発見されたのが大神古墳です。大神古墳は、直径十四メートルの円墳で、周囲に幅百七十五センチの周溝がめぐらされ、河原石乱石積みによる胴張構造の横穴式石室がある、七世紀前半の古墳です。ここでは、大刀や鉄のやじり、土器などが出土しています。
 このころ、西の大和地方には、大和政権が確立しています。この勢力が多摩地方にどの程度およんでいたかは、まだわかりません。しかし、今の国分寺市に武蔵国分寺が建立されたのが八世紀の半ばといわれていますから、古墳時代の昭島市も、大和政権の勢力下にあったといってもよいでしょう。