市域の村々

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 鎌倉時代の史書『吾妻鏡』によると、「多摩川を掘り起こし、その流れを武蔵野に堰(せ)き上げて、水田を開く」と記されています。鎌倉幕府の武蔵野開発には、武蔵七党の武士たちが汗を流したことがうかがえます。この時代から、多摩川の河岸段丘に沿って居住地域があったことが、板碑の発見地とも重なることから考えられます。
 近世には、拝島、作目、田中、大神、宮沢、中神、築地、福島、郷地の九つの村落が、多摩川の水と段丘崖の豊富なわき水を、水田や飲み水に利用して生活していたことがわかります。