昭島が幕府領になる

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 一五九〇(天正十八)年、関東を領有していた後北条が滅びました。豊臣秀吉は徳川家康に、後北条の旧地を与えました。家康は、江戸に入り、昭島市域も、徳川領になりました。
 十七世紀中ごろの記録によると、市域、五か村、拝島、田中、大神、上川原、中神が幕府領。福島、郷地は旗本領。宮沢、築地両村は、幕府領と旗本領の混在となっています。
 農村の生産力は向上し、昭島市域九か村でも、収穫の石高が増加しました。
 石高が増えた理由は、技術の向上と共に新田開発があります。幕府は、新田・新畑の開発を何度も奨励しました。
 水田や畑地をつくるのに必要なものは水です。延宝(一六七三~八一年)のころには、昭島市域や周辺の九か村(拝島・田中・大神・宮沢・中神・築地・福島・郷地・柴崎)で、用水組合が組織されました。拝島村の西、熊川村から多摩川の水を引き入れ、九か村用水をつくりました。また、一七四〇年(元文五年)、玉川上水の水を、拝島村が引き入れてましたが、飲み水として利用した後は、九か村用水に流して、田畑に使いました。

 

 
村高の変遷(石)
時期正保元禄天保
村名
拝島220.98 772.551821.273
田中30.215117.538117.538
大神63.805212.939274.161
上川原9.69543.15188.362
宮沢424.9 419.971471.69 
中神329.535424.371475.57 
築地99.6 103.536115.6 
福島378.4 396.844442.7 
郷地208.  212.842268.59 
合計1765.13 2703.7433075.484