江戸時代、昭島市域から多摩川を渡る道筋は三つありました。拝島の渡し、築地の渡し、そして、平の渡しです。
平の渡し(平~大神)は、対岸の平村が管理していました。
拝島の渡しは、人々の往来や物資の運搬に利用されました。多摩川を越(こ)えて八王子方面に出かける人も利用しました。拝島村はその運営権を与えられ、人々は、渡し賃を払って、渡し舟を利用しました。
築地村の渡しは、所沢、村山、八王子を結ぶ街道につくられた渡しです。拝島の渡し同様、交通量が多かったそうです。
時には、舟をいくつか並べてつなぎ、その上に板を渡した浮き橋をつくることもありました。