多摩川の筏流し

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 当時、江戸の町は、世界一の大都市でしたが、木造です。いったん火事が発生すると、多くの建物が焼失しました。そのためもあって江戸では、いつも大量の木材を必要としていました。
 江戸で使う木材は、木曽や紀州からのもののほか、青梅材が使われました。青梅材は、多摩川や秋川を、筏に組んで運ばれました。筏一枚の大きさは、長さ十八メートル、幅三メートルぐらいで、河口まで、三日から一週間くらいかけて運ばれました。
 筏流しは、大量輸送手段でした。筏の上には、上荷と呼ばれる薪や炭、杉皮などを乗せ、運賃を取って運びました。
 筏流しは、明治後半の、汽車や自動車に代わるまで、二百年も続きました。拝島には、筏乗りが利用する「筏宿」もありました。