明治時代の昭島市域

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 一八六八年、年号が改まって、明治になりました。徳川幕府が政権を天皇にかえし、再び、天皇が政治を行う国になりました。
 江戸城を、名前も東京城と改め皇居としました。明治政府は、富国強兵、産業の発展、文明開化を旗印に、日本の近代化を進めました。
 明治五(一八七二)年には学制が発布され、各地に学校が造られました。
 昭島市でいちばん古い学校は、今の玉川小学校です。明治五(一八七二)年に、福島村私塾として生まれました。翌年、今の成隣小学校が、執中学舎として誕生しました。さらにその翌年に、拝島第一小学校が、知遠学舎として開校されています。
 左の写真は、明治のころの小学校の卒業写真です。玄関の様子も、今とはずいぶんちがっています。
 この学校は、教室が五つ、職員室が一つという、小さなものでした。しかし三多摩では、特にりっぱなつくりとして有名だったそうです。

拝島小学校卒業写真(明治39年度尋常科)