戦時下の昭島市域

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 戦争が長引き、生活に必要な物が不足してきました。今まで自由に売り買いしていた物資が統制され、配給制になりました。
 昭和十五(一九四〇)年、今まであった町内会をもとに、隣組が設けられました。隣組は、国の統制を末端まで徹底させるための組織でした。
 昭島市域の人口は、昭和十六年には、昭和十年のころの三倍に増えました。戦争のための費用はますます増大し、国民の衣食住は極端に切りつめられていきました。
 農村では桑園などがつぶされ、米・麦・いもなどの食料が増産されるようになりました。しかし、日中戦争は拡大し、とうとう世界を相手の、太平洋戦争になりました。