高度経済成長時代

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 昭和三十四(一九五九)年には、拝島駅から東京駅直通の電車が運行されるようになりました。昭和三十五年の国勢調査によれば、昭島市の世帯数は一万四百二十二世帯、人口は四万四千八百五人でした。
 人口の増加に伴い、学校もどんどん造られました。昭和三十二(一九五七)年、成隣小学校分校から光華小学校が昭和三十七(一九六二)年、拝島第一小学校分校から拝島第三小学校が、昭和四十(一九六五)年、玉川小学校分校から中神小学校が。そして、昭和四十六(一九七一)年には、拝島第四小学校が開校しました。この間、昭和三十六(一九六一)年に、清泉中学校が開校しています。
 西武拝島線が開通したのは昭和四十三(一九六八)年五月のことでした。

西武拝島駅

 東京オリンピックが行われた昭和三十九(一九六四)年は、昭島市の市制十周年の節目でした。奥多摩バイパスや、多摩大橋も完成しました。