二 昭島の旧石器時代

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 さて、昭島市の旧石器時代はどうだったのでしょうか。
 市役所がある市の北部一帯には、広く立川ローム層が堆積しています。これは、古富士や箱根の火山が、噴火を繰(く)り返していたころに、降り積もった火山灰です。
 この立川ローム層からは、旧石器時代の遺跡は発見されていません。しかし、旧石器時代の遺物ではないかと考えられる物は、いくつか発見されています。
 例えば、昭和三十四(一九五九)年、中神町字西武蔵野の畑地から、石槍が発見されました。両面が加工されている、約十センチのものです。
 また、昭和四十(一九六五)年に、大神町北享保新田九六九番地からは、六・六センチメートルの石槍が発見されました。基部を欠いていることを考えても、西武蔵野で発見された槍より、小型であったと考えられています。
 しかしこれらは、偶然に、単独で発見されたものです。付近から、この時代の遺跡は見つかっていません。石器をつくったと考えられる場所も、発見されていません。
 それで、今のところは、これらの旧石器を使ったのは、昭島に住んでいた人ではないだろうと考えられています。
 おそらく、近くの地域に住んでいた旧石器人が、狩猟のために昭島に入ってきて、落としていったものと考えられています。
 残堀川の源流に当たる、瑞穂町の狭山遺跡や浅間谷遺跡からは、大量の石槍が発見されています。これらの地域から来た人の道具かもしれません。

立川段丘上から発見された石槍

 
◇旧石器時代の道具
 旧石器時代人も、石器以外の道具も使っていた。岩手県の花泉遺跡からは、牛の肋骨と鹿の角を用いたものが。長野県の野尻湖遺跡からは、ナウマンゾウの骨の加工品や、槍状の木器が出土している。
 しかし、なにせ一万年以上前の物である。腐蝕もするだろう。出土は極めてまれである。それだけに今後の発見・研究が期待される。